今回一泊二日のソロキャンプもどきドライブ旅行を企画したのは、芥川龍之介ゆかりの地である 一宮 を訪問するためでしたが、
ぢつは1739年にロシア艦隊が停泊し、ロシア人が上陸したという安房天津も訪れたいという思いから。
千葉の地図を買って見ると、一の宮と安房天津がさほど遠くないことを知ったため。
早朝に一宮を出て御宿のドン・ロドリゴ上陸地に寄り道、そして目的地の本命である安房天津へ。
このような案内標識を見つけました。
宮城の郷土史家安部宗男さんがお書きになった本を読んでその顛末を知りました。
ベーリング海、アリューシャン列島を探検していたシュパンベルグ艦隊の船は4隻。
そのうち3隻は現宮城県の牡鹿に停泊するのですが、1隻がさらに南下してこの安房天津までやってきていたのです。
昨年の夏にその 網地島 を訪れたことはこのブログでも紹介していましたが、安房天津も絶対に訪問しなければならないと思っていた場所の一つ。
車同士がすれ違うのも困難な狭い海岸沿いの道。石碑が見えた。
船着き場の作業場と思われる開けたスペースに車を停めて石碑のほうへ。
沖に戦艦が停泊、小型のボートで数人の乗組員が浜に寄せてきて上陸し、民家の井戸から水を汲んだほか、大根などを要求し、その返礼に硬貨やガラスのコップなどを置いて立ち去ったのです。
これより先にロシア艦隊が停泊していた網地島では「記録上は」上陸したことになっていないため、この安房天津がロシア人の初上陸の地、として名を残すこととなりました。
尤も網地島に上陸したという間接的な証拠はあるのですが ―― どっちが先かを言い争っていても仕方ないこと。
それでは海のほうへ。
さらに南のほうを望む。今回はこの鴨川で引き返すことに。
この沖合にロシア艦隊が停泊していた、と思うとワクワクしてくる。
当時の漁民たちは、見たこともない大きな船が浮かんでいるのを見て、どれほど驚愕したことでしょうか。
ちなみに偶然というか不思議というか。
昨日まで紹介したドン・ロドリゴ上陸地と、この天津のロシア人上陸地はまさに目と鼻の先。
そしてベーリング艦隊初の停泊地となった網地島。
これがサン・フアン・バウチスタ号建造地である雄勝に近い。
ベーリング艦隊は打ち合わせをしたわけでもなく、ただ偶然の産物で石巻と南房総にやってきていたのです。
そして江戸時代の初期。メキシコ人たちの命を救った事件が南房総で、日本からメキシコに渡る船が出港したのが石巻。
ふたつの事件を通して歴史の交流が行われることを期待したい。
なお、このあと鴨川郷土資料館で、このロシア人上陸に関する資料を提供していただきました。
この場を借りて御礼申し上げます。