仙台市中心部、タワービルと呼ばれるオフィスビルの横にある辻標。

 

 

「森徳横丁」と「百騎丁」と書いてあります。

 

 

東二番町通から一番町商店街までの短い区間。

 

 

こんな感じで細い一方通行の道路です。つねに商店街に搬入の車両がたくさん停まっている。

 

森徳横丁

「東一・二番丁のこの通は明治初期まで荒れて淋しく、化物横丁と呼ばれた。明治中頃西北端に芝居小屋・森民座が建って森民横丁、後に森徳座と改名して森徳横丁と称され、更に北東端に裁判所ができて裁判所横丁、南東端にできた憲兵隊にちなみ憲兵横丁と時代を反映して通名が移り変わった。」

 

ちなみに今タワービルが建つところは、かつては中央警察署。「荒れて淋しく、化物横丁と呼ばれた」とありますが、ここが警察署だった頃はスラムっぽい雰囲気を出していたものです。

 

百騎丁

「藩政時代、東一~三番丁は百石から数百石の中堅武士が配置された。戦時には多数の騎馬侍が出陣する東二番丁を別名百騎丁とも呼んだ。樹木が豊かで風格を備えた侍屋敷も、戦災の後昭和三十三年に道が幅員五十メートルに拡張され、市内南北を貫く大動脈国道四号線となった。」

 

国道4号線、とありますが現在は48号線。4号線は仙台の東を通るバイパスになり、かつて48号線だった道路は今は主要地方道。バイパスができることで国道も移り変わる。そんな現代の歴史の一コマもこの辻標は語ってくれています。

 

 

東二番町通を東二番町スクエア前から北にカメラを向けて撮影。広い歩道です。

 

で、左手に何やら気になる石碑が。

 

 

 

「青柳文庫跡地」と彫られた碑。

 

「仙台藩に生まれ、江戸に出て成功した青柳文蔵(1761~1839)は、庶民のための図書館開設を願い、二万余巻の本と千両を藩に献上しました。藩では彼の願いを受け入れ、1831年この地に書庫を建て、「青柳文庫」と名付けました。この文庫は我国最初の公開図書館といわれています。」

 

これまで何度となくここを歩いてきましたが、一度として気にも留めなかった「青柳文庫」。

地味に仙台は日本初のなんとやらが多い。世界一周しかり、鉄筋コンクリート製の橋しかり。

 

何かに注目しながら歩いていると、それまでなんとも思っていなかったものに気がついて興味がわいてくるものです。

 

 

子供の頃の写真、見せて!

▼本日限定!ブログスタンプ

あなたもスタンプをGETしよう