ゆっくりと仙台市内を散歩するなんて機会もありませんでしたが、今日は午前中を仙台西公園からブラッと歩く。

 

 

仙台市中心部からおよそ二キロほどの西公園へ。ここは小学生の時に遠足で行ったこともあり、我が家から適度な距離のある散歩コースとなっています。

 

まあ、別に西公園を目指したわけでもなかったのですが…

 

 

西公園の北端には機関車が飾られています。さすがにこれが現役の時代なんて知らないのですが。

 

 

西公園を南下。右手の柵の向こうは断崖、そして広瀬川が流れる。仙台市中心部のすぐそばに自然豊かな場所が。

ちなみに仙台市の最高峰は1500Mだったりします。

 

 

西公園にこんな銅像があることを今日まで知りませんでした。地元民もきちんと街を見ていないことがバレバレ、お恥ずかしい限りです。

 

その西公園を抜け仙台城へと続く大橋を渡る前、右側に降りていくとそこにあるのは殉教者の碑。

 

 

元和十年(1624)太陽暦の2月、ポルトガル人宣教師カルバリオ神父が、大橋の下にあった水牢で殉教――早い話が拷問による凍死したというのがここ。

中央が神父、両側にいるのがともに殉教した農民の姿なのだそうです。神父とともに殺害されたのは7人もいたのだとか。

 

 

これが現在の大橋。向こうに見える山が伊達政宗の居城仙台城。

当時のイエズス会は世界各地を植民地にするための尖兵として派遣された人々ではありますが、このポルトガル人宣教師自身にそんな意図があったとは思えず、さらに共に殉教した日本人キリシタンには悪意などなかったことでしょう。

自分はクリスチャンではないしキリスト教が好きかと言われると決して肯定できませんが、なんの罪もない人たちを残酷な方法で殺害した伊達政宗に対しては嫌悪しかありません。

このカルバリオ神父は首を切られ、そして首は広瀬川に投げ込まれ流されていきますが……

 

殉教者の碑から再び街中に戻り、蠣崎(かきざき)神社に寄り道を。

 

 

ここには珍しい役行者の石像があることは知っていましたが訪問はこの日が初。

神社に入るとすぐ左手にそれはありました。

 

 

中央が役行者、左右を守るのが前鬼と後鬼。前鬼後鬼をもじって「戦鬼」「護鬼」にした漫画がありましたっけ。

 

役行者の反対側にある石碑と地蔵です。

散歩しながらいろいろと注意してみると、興味深いものがたくさん見つかるものですね。

 

さて蠣崎神社からさらに南下。左側には裁判所や東北大学のキャンパス、右側は広瀬川の断崖。川の向こうは評定河原といって、江戸時代にはキリシタンの改め所があったらしい。

中学生時代には自転車で迷い込み方向を失い、帰りには急勾配の坂を登るのに苦しめられた思い出もあります。

 

その東北大学キャンパスの向かい側はこんな感じの急勾配です。

 

ここから下ったところは仙台市の河岸段丘において「下町」(しもまち)と呼ばれる低地。ブラタモリではタモさんもここまで来ていませんが、もし来ていたら喜びそうな地形。

 

 

この通りには鹿子清水通という名前があったんですね。知らなんだ。今日の散歩の最終目的地は、この鹿子清水通の突き当たり。

 

 

縛り地蔵という史跡です。

さきほど記したカルバリオ神父の首は、川に流されここに漂着しました。そして生き延びたキリシタンたちがその首を埋葬し、ただし偽装のために地蔵の姿にして祀ったのだとか。

 

という伝説を郷土史の本で読んできたのですが、案内板には違うことが書かれていました。

 

 

キリシタンが正義かどうかは置いても、非業の死を遂げた人を弔うために建てられた地蔵であることには変わりありません。

 

 

始めてここを訪れたのは大学生の時でしたが、その時はこんな立派なお堂はなかった気がする。

 

 

縛り地蔵から川原に出て見ると、対岸の断崖。

昔は鹿がここを駆け降りたので「鹿落坂」という地名が付けられたのだそうです。写真左側のやや赤みを帯びたところは小さな滝でした。

 

 

会社の健康診断で、なんとメタボ判定。いや自分はデブではなく、ウエストも76センチときっちり体形を保っているはずなのに…

ちなみに体重は自分の身長の適性体重から13%増なのですが、これは肩から上腕部にかけてムキムキのため。

どうやらメタボはデブと決して比例するものではないらしい。

 

原因は大食いでしょうね……

 

そんなわけで運動不足解消の散歩でしたが、健康のためよりも趣味のために歩くのが楽しみになってきた次第です。