親房が最も頼りにして、そして最も長く戦ったのが小田城(つくば市)。
何が驚いたかって、これです。
失礼ながら小田城のようなマイナーな城に立派な資料館があるなんて夢にも思っておりませんでした。
ということをこちらの方に話すと、地元の方も同様に、このような資料館が出来たことを意外に思われていたのだそうです。
しかもこんなに立派なパンフまであるのですよ。
資料館の中の展示物については、ぜひともこちらをご訪問になってください。
さて小田城です。
全くの平地にあり、とても大軍をひきつけておけるような天険とは思えません。南側には桜川があり防御に役立ったと思われますが、北側は筑波山が見下ろす平野。
それでも親房を擁した小田治久は、ここで足利側の高師冬軍を相手に三年近く戦い抜きました。もちろん三年間ずっと合戦続きだったわけでもないでしょうが。
さて城址へと向かいます。
ここ一か所に集められたと思われる五輪塔の群。周辺はサイクリングロードなどが出来て景観も変わっているため、出来る限りここに持ち込まれたのでしょう。
ここが有名なのは、なんといっても神皇正統記が執筆された場所であること。
そして親房はこの城で、白河の結城親朝(ちかとも)に書簡を送って味方に引き入れようとしています。もちろん味方であるべきはずの石川氏を罵るなど、少し考えられない行動もあるわけで、これが親房という人物の評価を下げる原因の一つともなっています。
右側の白いゲートが入口かと思いきや、本丸入り口はさらにこの左手の道を進むのだと。
パンフに掲載される地図に今回のルートを書き入れてみました。
城の北面にそって東へと向かい、そこから城の内部に入る、というコース。
小田城を囲む土塁です。
まわりに水を引き込んで堀となし、足利の大軍を迎え撃つ構造にしていたようです。
この案内板でいうと、資料館は城の向かって右側、ということになりますね。
大手門入り口に立つ「小田城址」の碑。
これから中に入ります。
つづく