2泊3日の茨城旅行から帰ってまいりました。

初日は仙台から宿泊地の潮来までの移動で時間を費やしたため史跡巡り活動は二日目5月4日からスタートです。

 

まずは神宮寺城から。

暦応元年九月初旬(1338年10月後半)東北地方を目指した南朝側の船団が暴風で遭難し、北畠親房は常陸に漂着。ここで親房が最初に迎え入れられたのが神宮寺城。稲敷市の神宮寺にあり、有名な大杉神社から国道125号線を北に進んだ後、最初の交差点で左折し県道107号線を西に進みます。

 

そして最初に遭遇したのがこの案内板。

 

 

 

この城も十月には足利勢の攻撃を受け、親房はここから南東の阿波崎城へと逃れます。

 

 

道路から入ると中は広い空き地になっていて駐車スペースには困りませんが、おそらくこの空き地もまた本来なら北面を防御する郭が構えられていたのではないか。

 

 

 

 

階段を上る前に左右の堀。

 

 

この堀そのものよりも、この周辺がやや小高い丘になっていることと、南側に利根川が流れおそらくは一体が湿地であったことが、この神宮寺城の防御になっていたものと思われます。

そもそもこの神宮寺城跡地は決して広いものではありませんでした。

 

 

 

土塁を撮影。守備兵はこの土塁の上から高低差を利用して攻城軍を防いだものと思われます。

 

 

 

土塁の内側は竹林になっていました。鬼気迫る風景ですが、もちろん過去はここに建造物があったのです。

 

 

 

この城に迎えられた北畠親房の顕彰碑です。土塁に上がり左手に進むとこの碑が建っていました。

楠木正行に無謀な特攻を命じて戦死させるなど武士を軽んじていたことで非難される親房ですが、青息吐息になっていた南朝をまとめ常陸で数年の粘りを見せたことはもう少し評価されてもいいのかもしれません。

 

 

さて一通り見学を終えた後で、目に留まったのがこの花。

 

 

 

花の名前は詳しくないので、どなたかこの花の名前をお教えいただくと幸いです。

 

 

親房5年の奮闘はこの神宮寺城から始まりました。

しかしぢつは、我が旅行は潮来からスタートしたという事情もあり、神宮寺より東、つまり潮来寄りの阿波崎城訪問が先。次はその阿波崎城を。