カイロンと火星

 

・・・さいきんしんど。

 

いや、やっぱり言い換えます。

 

「滝に打たれて楽しいわ♪」

 

占星術でみると、今の私のホロスコープでは

カイロンという星に

火星という星が

重なっています。

(やっと通り過ぎていったけど)

 

カイロンは、傷を持つがゆえに

その傷を自ら癒すことができるエネルギー。

火星は、行動や集中を促す力のエネルギー。

 

水瓶座で起こっていますから

それは社会での平等を求めるグループ間の出来事として起こり得ます。

 

すると

こんなことが。

 

 

 私の場合

 

あるボランティアグループで

どのようにイベントをつくったらいいかというミニ話し合い。

 

それぞれがアイデアを出し合ったところで

 

「もっとつながりがわかりやすくした方がいいと思う」

「全体が見えないと・・・」

「副題を決めたら?」

などなど発言したワタシ。

 

「それはあとでみんなが決めることだから」

などと言われて軽く終わる。

 

(ワタシは)重箱の隅的なことを言っている、

と思われているのが

みんなの返答や反応でわかります。

(認知のゆがみかもしれません)

 

発言慣れしていないワタシは

言葉や声に力が入ってるかもしれません。

 

すかさず場を和ましてくれる

誰かのジョークが入ります。

 

ああ、またか。

 

そこでまた

みんなの話を聞くようにします。

 

でもなんかおかしい。

 

誰かの強いアイデアが場を占めて、

みんなのアイデアが消えて

見えなくなってきた。

 

ワタシはあわててみんなのアイデアを

見直しながら、

話に耳を傾ける。

饒舌な言葉の話術を楽しむ場の様子に。

( なんか皮肉っぽくて嫌な表現だ)

 

終わる時間ころになると

「もう終わる時間ね。〇〇さん、あと二日でイラストに書いて作ってきてね」

 

と唐突にワタシに来た。

え、できなくもないけどー

それ必要か?

 

そこで思わず

「ワタシになにを書かせたいの?」

と言ってしまった。

 

彼女は笑いながら

「100円均一でもなんでもいいじゃない、自分で考えて~~」

 

言いたいことはそこじゃない。

 

ああ、また。

 

 

モヤモヤはいいけど

 

これこそが私の今の宇宙なのだ。

誰かの言葉のコントロールに反応している。

 

それが私の

コントロールしたいという感情の傷。

 

自分の傷に

言葉を発することであえて触っている。

 

その傷にふたをしないようにしよう。

 

痛いけど

絆創膏は後回しだ。

 

モヤモヤしたまま

眠る。

 

 

てくてく哲学

 

91歳の母は

散歩が好きだった。

 

歩行困難になった今、

なつかしそうに言う。

 

「自分のまわりの景色しか見ていない。どこへ行くかもどこを歩いたかも関係ない」

 

「気がついたらとんでもないところまで行って帰れなくなった」

 

さもありなん。

 

母の散歩哲学は

私の凝り固まった頭に

そっと貼られた絆創膏のようだな。

 

 
 

散歩かねて

ちょっとでかけようっと。

 

それを見た母が

 

「お線香が切れたから買って来て」と。

 

ああ、

それを買うのはお散歩と違う道・・・