見返りを求めるから苦しくなる。

見返りを求めるから、
見返りを得られないと不満が募る。

お金だったり。
品物だったり。
言葉だったり。
態度だったり。

求める見返りは人それぞれ。


たとえば、
誰かの仕事を手伝ったとしよう。

頼まれたわけでもなく、
自分から率先して手伝ったとする。

1回かも知れない。
時々かも知れない。
毎日かも知れない。

手伝った結果、
相手からは何のアクションもない。

その時に抱く感情。

『手伝ってあげたのに』
『手伝ってあげてるのに』

いわゆる、
【のに】の感情。

『してあげたのに』
『してあげてるのに』

『あの人はお礼の一言もいわない』
『あの人は何のお礼もよこさない』

自分の好意で手伝ったはずが、

自分を認めて欲しいあまり、
自分を肯定して欲しいあまり、
相手からの見返りを待っているのだ。

自分が勝手に求めている相手の好反応。

その反応がないことによって、
自分で勝手に機嫌を損ねていたりする。

見返りありきの行動だから、
見返りありきの善意だから、
見返りがないと不満を抱く。

むしろ、
下心がある時点で、
善意とはいえないのだろうが。

『いろんな人がいるから』
『頼まれたわけじゃないから』
『勝手に手伝っているだけだから』
『無償の愛を提供しているだけだから』


そう思えれば、
見返りを求めなければ、
気持ちはウンと楽になるだろう。

相手に対して、
わざわざ不機嫌になることはない。

見返りを求めなければ苦しくない。

さあ、行こう!明るい未来へ。

今日という一日をありがとう。