【開拓史228 大通り開拓史③】 | 桜東行のブログ

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開拓史に特化したブログです。
幕末は高杉晋作さんが好きで、こちらは小説系にしたいと思案中。

札幌近郊の開拓史史跡及び歴史について書いてます。
宜しくお願いします(*´∀`)

開拓史史跡

大通公園③

(13丁目〜1丁目の順)


【大通西3丁目】


【石川啄木歌碑】
北海道ゆかりの歌人・石川啄木の没後70年を記念して建てられました。
明治40年、石川啄木は函館から札幌へ来て2週間ほど過ごし、小樽へと旅立ちました。
啄木は札幌の印象を「美しい北の都」と綴っています。
石碑に刻まれている歌は彼の処女作「一握の砂」の中の一首です。そちらを引用しますね👌

しんとして幅広き街の
秋の夜の
玉蜀黍の焼くるにおひよ

玉蜀黍はトウモロコシと読みます。
この頃には既に北海道の名産である焼きトウモロコシがあった事が分かりますね🌽 焼きトウモロコシ(トウキビとも呼ぶ)は大通公園でも売られてますが匂いを嗅ぐと食べたくなりますよね。

【牧童の像】
牛乳生産100万石突破を記念し、酪農関係者によって建てられた子牛と少年の像です。戦後に大通公園に建てられた像の第一号です。
台座に書かれているのは

「乳と蜜の流れる郷」

これは旧約聖書に出てくる理想郷のことです。

この他にも泉の像や湖風の像、噴水があります。
泉の像は元ニッカウィスキー会長の竹鶴政孝氏寄贈の像でもあります。

【大通西2丁目】

【開拓の母の像】
北海道開拓の陰の力となって支えた母たちを讃え、北海道農協婦人部の創設10周年を記念し、建てられました。
3年計画で10万人を超える人たちがカンパを寄せています。

頭上にかざしているのは笹の葉で、笹に覆われた未開の広野を切り開いてきたことを表しています。

12丁目にあった若い女性の像の作者である佐藤忠良氏の作品でもあります。

【ベンソンの水飲み】


札幌の姉妹都市であるアメリカのポートランド市から贈られた水飲みです。
この型の水飲みは1900年代の初め、ポートランド市のサイモン・ベンソン氏が独立記念日(7月4日)に喉を渇かし泣いている少女見て哀れに思い、水飲み場を作りポートランド市に寄贈したのがはじまりです。

【北海道電話交換創始の地碑】

明治33年(1900年)大通西2丁目の札幌逓信局(電話局)で北海道初の電話交換が行われました。
北海道の電話が100万台に達した記念に逓信局の跡地であるこの場所に碑が建てられました。

【壁泉】
この壁泉は夏になるとつる性のノウゼンカズラがオレンジ色の花を咲かせます🍊
この他に花の母子像が建てられています。

【大通西1丁目】

大通公園で一番有名ですね🥹
札幌テレビ塔です。
北海道初のテレビ局が開局するにあたり、テレビ電波を発信するアンテナを設置するために建てられました。
地上からアンテナの先までは147.2㍍で現在も一部のテレビやラジオ電波の中継地として活躍中💪
ここの展望台から見る大通公園はよく写真になってます。

いかがでしたか? 大通公園の中に開拓史関係の石碑や歌碑など結構ありましたよね🙂
興味を持たないと全くと言っていいほど気が付かないものばかりです。
私も開拓史を調べる前まではせいぜい札幌資料館と聖恩碑くらいしか知りませんでした。
この大通公園については札幌資料館のまちの歴史展示室にコピーがあります。今回はこちらを参照にブログを作成しました。

最後に大通公園の歴史を少しお話してみたいと思います。
今に至る経緯を簡潔にまとめてみました😙
そして歴史を感じながら綺麗な大通公園を散策してみてください💕

大通は島義勇判官の札幌本府計画に最初から構想されてました。
開拓使本庁をはじめとする官邸を前面に、幅24間の大通と食い違い土居が通され、その南側が町屋街という計画です。
古い資料には「火防線」と書かれてる場合が多い。 

明治9年には西3丁目と4丁目で草花を移植して市民に公開してます。
明治11年13年には農業仮博覧会が開催、大通でのイベントとして初の試みとなった。
明治14年には西1丁目に豊平館がオープンしてます。

大通は日常は街中の牧場でもあり、開拓使時代は移動は馬が主体となってましたので1日駆使した後夕方に大通で放牧していました。
都市公園として整備されるのは明治30年頃で、松や桜、柳などを植樹してます。
大正期には先に紹介しました札幌控訴院が建てられており、芝生や花壇なども整備され大通も色づいて来ます。

戦中になると避難場所や臨時の畑になるなどして荒廃してしまう。
戦後、北海タイムス(現・北海道新聞社)が主体となり西3丁目に花壇を復活させたのを皮切りに、ボランティア団体などが花壇などを造成した。
昭和32年に豊平館が中島公園に移設となり、札幌テレビ塔が建てられると噴水なども作られ現在の大通公園の姿になっていきます。
(参照 さっぽろ文庫50 開拓使時代)