桜東行のブログ

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開拓史に特化したブログです。
幕末は高杉晋作さんが好きで、こちらは小説系にしたいと思案中。

札幌近郊の開拓史史跡及び歴史について書いてます。
宜しくお願いします(*´∀`)

開拓史史跡

旧下ヨイチ運上屋

住所 余市郡余市町入舟町10番地


入館料 大人300円 小中高生100円


開館時間 09:00-16:30

休館日 月曜日、祝日の翌日、冬季

          12月中旬〜4月上旬



【旧下ヨイチ運上屋についての説明書き】
まずはチケット売り場の隣にある説明書きを見てみましょう。

重要文化財 史跡
旧下ヨイチ運上屋

昭和46年12月28日 重要文化財指定
昭和48年7月31日 史跡指定

説明
蝦夷地における知行主と知行商場居住の蝦夷との関係は、はじめ友好に行われていた。
しかし、両者の勢力へだたりが生じ、内地商人の資本力の進出、とりわけ17世紀のなかば前から活躍し始めた近江商人が力を発揮し始めると、知行主は蝦夷交易に必要な資本等を商人から借りて蝦夷交易に従い、獲得した品物を商人に渡すという場所制度が生まれた。

その後蝦夷交易が複雑になると、交易権と商人の手に帰するようになり、知行主は、知行主の場所を請負う商人を場所請負人として選び、場所請負人は知行主に運上金.差荷を納めるかわりに、知行主の場所における一定の交易独占権を行使することを認められ、請負場所に運上家を設け、支配人等を遣わして、蝦夷に米・酒・塩・小刀等を送り、蝦夷の漁獲した水産物や手工品等と交換し、これを内地の市場に送って売りさばき、利益を得ることになった。
(場所請負制度)

ヨイチ場所は、すでに18世紀にはその存在が認められるがおおむね上下2つの運上家が設けられ、運上金の額は300両前後であった。このうち現在残っているのは下ヨイチ運上屋である。

この建物は嘉永6年(1853)場所請負人 竹屋長左衛門が建てたもので、翌年一部を継ぎ足した。完成当初は桁行22間 梁間8間 柾屋根、上手が座敷で通行の役人や勤番下役の止宿所にあて中央に広い台所と表裏に帳場や番人の居間、下手には雑部屋と土間を配していた。

明治にはいり規模を縮小して模様替えをおこない、敷地も狭くなり、付属建物等を取り払われたが現在残っている唯一の運上屋であり、幕藩体制下の蝦夷経営を知るうえで貴重な歴史遺産である。



【役人などの上級人物用玄関(上手玄関)】

【中央部】

【船主、船頭の居間】

【神棚】
左側から

白神大明神
正1位稲荷大明神
弁財天
金毘羅大権現
龍宮 龍道大龍王 戌道大龍女

海の守り神ですね💪🏼
お稲荷さんが海の守り神だと知ったのはつい最近ですよ💦

【アイヌ絵】
武者のぼり下絵

江戸末期、松前藩の絵師・早坂文嶺の作で義経と蝦夷の娘が結ばれ、男子誕生を祝い若者が弓を引こうとしても引けない義経の強弓ぶりを表現したとのだといわれてます。
端午の節句の際、子供の成長を願い幟旗をたてる習慣は、江戸時代武家の間で行われ、松前でもこうした習慣がありました。
義経の蝦夷地伝説は江戸時代から伝えられ、この絵もその1つだといわれます。

武者のぼり

こちらは明治末期に四国の職人により作られたもので、賤ヶ岳七本槍の勇姿を表したものです。
これも上記の習慣によるものです。

【資料の展示】
光って見えませんが(^_^;) こちらにはこの運上屋の資料や帳簿などが展示されてます。

【遠山金四郎景晋来北の再現】
遠山の金さんの父にあたる方です。実際、この地に調査に来た時の再現です。

【酒部屋】
酒は祝のときだけではなく、網おろし、切り上げ、交易などの業務には欠かせないもので、灘・若狭・能登・新潟などから交易船(べんざい船)で運び込まれ特別に部屋を設けておくほど貴重なものでした。

【二階への階段】

【寝部屋】
二階には寝部屋があります。下に比べると広さもありません。二部屋のみ。

まだまだ沢山の部屋がありますが、写真掲載の限度があるのでこの辺りで照れ
他に庭園や神社もあります。これは裏手に回るとありますので、行かれた際は必ず確認してくださいね。

旧下ヨイチ運上屋という名前がどのような意味を成しているのか最初は分からなかったのですが、上下の運上屋があったのですね。
現存している運上屋は下だと、なるほどといった所でした🤭

この施設は駐車場がなくて目の前の路肩に停めて見学(他に駐車場が見当たらなかった)可能です。
私はこの施設だけを見に来たのですが、フゴッペ洞窟、よいち水産博物館、旧下ヨイチ運上屋、旧余市福原市場の施設をまわれるセットもあります(大人960円 小人320円)
こちらも是非ご利用くださいね🥰