木漏れ日の輝き -16ページ目

木漏れ日の輝き

人生で経験する様々な出来事も、きっと木漏れ日のように美しい

自問自答の日々。一休さんの弟子にでもなった気分。

共にあること、寄り添うこと、分かち合うこと etc.
出てくるキーワードはいつも似たようなもが出てくる。

キーワードが浮かんだ瞬間、無理だ、出来やしないよ。と自分の中から抵抗勢力が生まれる。

「ひとを助けたい」という欲求が自分の中に住んでいる。でも、本質的にはひとを助けることはできない。それを知っているから絶望感に苛(さいな)まれるんだな。

しかし少なくともその想いを抱いている自分は大事にしたい。
何故ならそこにエネルギーの源泉があるから。

ってことは、ちっとも諦めてないし、絶望なんてしてないんだ。と、自分のゲームに気付いた夏の朝。

出来るのはいつも自分を変えることだけ。紆余曲折あろうとも、自分の本質に近い所のエネルギーで生きよう。

私は、共にあること、寄り添うこと、分かち合うことを大切にします。



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同名のタイトルの映画DVDを見た。

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学生時代に同級生が「描写が綺麗なんだよ」と紹介してくれた映画だが、未だに見ていなかった。紹介されたのは15年以上前の話で、ずっと頭の片隅に残っていたものだ。

映画は’90年のザ・アメリカって感じのラブストーリー。
ヤンエグ(死語?)の男と擦れた年上の女の物語で、?な部分もあったが「恋のゆくえ/ファビュラス・ベイカー・ボーイズ」に似た大人の雰囲気が良かった。
ユダヤ人の富豪コミュニティーなどが出てくるので学生時代に見てもその辺りの社会的背景は読めなかっただろう。
心理描写がメインの映画で、今、見たというのは意味深い。

それよりも、紹介してくれた同級生とはずっと連絡が取れずにいたのだけど、ネットで調べたところ活躍している様子を見つけることが出来た。

嬉しさと懐かしさと共に、何とも言えないこころうずくものがあった。しかしその中にほっとする、とか励まされる、というこころの成分も見つけた。
そうか、ひとを見て励まされるってことがあるんだ。

今は、じっくりとエネルギーを感じるとしよう。
そしてお世話になったひとたちに感謝の気持ちを忘れずに持ちたいと思う。
そして自分も喜んで働こう、そう思った。

ついやってしまうこと、内省。

内省をするのは、世界が悲しみで一杯に見えていたから。その謎を解きたかった。

そしてわかったこと。
世界は自分のかけたメガネで見え方が変わるってこと。
そのメガネにはサングラスの様に色が付いていて、それによって悲しみしか見えなかったり、希望が見えたり、全てが素晴らしく見えたりする。

ある意味、ひとは幻想の中に生きている。どれも真実でなく、どれも真実でもある。
だとすれば、自分はどんなメガネを掛けて何を見るか意図することができれば
望んだ物が見える様になるってこと。

自分は何を見たいか?
やっぱり、ひとの優しさや温もりが見たい。かな?

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