あらゆる解意には、それが扱う事象の分野や認識として掲げる自負に応じて、次のものが含まれている。
1、視座、これは一定の仕方で育成してきたもので、また、それがどの程度まで明確に自得され固定されているかには、さまざまなな違いがある。
2、着眼。
3、視線。
視座には、解意が「そこから」遂行されるところ、すなわち釈意の動機となる生の状況の現存財のその都度の様態が包摂される。
着眼とは、釈意の主題として掌握されたものが、あらかじめ事象内容に関して規定されていること、対象があらかじめ「何々として」捉えられていることを指 す。
視線 - 主題となっている対象が、対照性連関を望み見つつ、それを期して釈意されていく、その連関のこと。決定的名かたちで設定される解釈の問いにおいて、対象が 調べられる際に望み見られ、それを期して聴診されるもの、すなわち解釈によって規定する道筋をあらかじめ描くもの。
釈意がこれらの観点について規定され、これらの観点として掌握されるかぎりにいて、その釈意の中で生じる対象自得は、事象に即したものである。これらの 視座、着眼、視線を形成しつつ釈意が明らかとなることによって、この釈意には安定と支えとがもたらされ、釈意にとって、その状況が明瞭に掌握されることに なる。釈意状況とは解釈学的に見通しのきくものである。およそ具体的な釈意状況の解釈学、つまり史学的な精神科学というのは、及ばずながら後を追いかける 空疎な哲学的反省の用件ではなく、その都度の解釈そのものの最も固有な遂行の一部である。主題的な対象にどれだけ迫っていけるか、その対象とどれほどに関 わり合えるか、その可能性のほどもこの解釈学の中で決まってくる。 (M・ハイデガー アリストテレスの現象学的解釈 ~存在と時間への道~ 高田 珠樹訳 p007-008)
1、視座、これは一定の仕方で育成してきたもので、また、それがどの程度まで明確に自得され固定されているかには、さまざまなな違いがある。
2、着眼。
3、視線。
視座には、解意が「そこから」遂行されるところ、すなわち釈意の動機となる生の状況の現存財のその都度の様態が包摂される。
着眼とは、釈意の主題として掌握されたものが、あらかじめ事象内容に関して規定されていること、対象があらかじめ「何々として」捉えられていることを指 す。
視線 - 主題となっている対象が、対照性連関を望み見つつ、それを期して釈意されていく、その連関のこと。決定的名かたちで設定される解釈の問いにおいて、対象が 調べられる際に望み見られ、それを期して聴診されるもの、すなわち解釈によって規定する道筋をあらかじめ描くもの。
釈意がこれらの観点について規定され、これらの観点として掌握されるかぎりにいて、その釈意の中で生じる対象自得は、事象に即したものである。これらの 視座、着眼、視線を形成しつつ釈意が明らかとなることによって、この釈意には安定と支えとがもたらされ、釈意にとって、その状況が明瞭に掌握されることに なる。釈意状況とは解釈学的に見通しのきくものである。およそ具体的な釈意状況の解釈学、つまり史学的な精神科学というのは、及ばずながら後を追いかける 空疎な哲学的反省の用件ではなく、その都度の解釈そのものの最も固有な遂行の一部である。主題的な対象にどれだけ迫っていけるか、その対象とどれほどに関 わり合えるか、その可能性のほどもこの解釈学の中で決まってくる。 (M・ハイデガー アリストテレスの現象学的解釈 ~存在と時間への道~ 高田 珠樹訳 p007-008)