願望が無になる。
子どもの頃に
環境の中で不足しているものを得ようとして
描く夢のことを「有願」と言って
それはでも、本質とは一致しない願いだったりする。
例えば、本質は心の平和が1番な宿命なのに
お金に苦労した経験から
お金を強く求める生き方をする。
この「有願」が中年期以降に達成されたことで
願望が無になることを
「無願」という。
お金に対する欠乏感が満たされれば
満たされるほど
「無願」になったときの虚無感は大きくて
その虚無感が大きければ大きいほど
そもそもの本質とのズレが大きいということ。
そして
その段階になった時に
初めて本質に立ち返ってきた
ということになる。
算命学でいう「成功」って
この「無願」を自分のものにし得た時
完了した、と捉えるのですね。
自然界をお手本にした中庸精神が
ここにも出ているよね。
ただただなんとなく「成功」したい
「お金」をたくさん得たい
「名」をあげたい
たくさんの「人」から好かれたい
それは有願という可能性はないかな??