最近この本を読みました。
心の底からの「こうなればいい」が定まった結果の奇跡
をこの本では「祈り」と定義しています
昨日参加した集まりでは
物理学的には「確定」する という行為が
この「祈り」に通ずることであるように感じました
というか ほとんど同じね・・
どちらも
人間の「想念」の結果に対して
物事が決まっていくということ
自分が 何を体験したいか「想念」することが
その人の未来を「確定」することになるのだろうと
そういうことね
さて
なにを「想念」し
その結果
なにを「確定」することを選びますか?
自分に対しての
嘘やごまかしの「想念」では
実現化はしたとしても 虚しさがつきまとったり
いずれ壊れる可能性が・・
自分のほんとのほんとの本音からの想いにだけ
自らが満足できる現実が素直に 答えてくれます
多少タイムラグがあったとしても・・
そして
あなたにとっての本音が
誰かにとっての本音でないものも浮き彫りになる時代
だから
しんじられなーい なんてことをしでかしているように
自分からみえること・人が
間違っているわけでもないんですよね。
それが彼・彼女らの本音だったら
お互いに本音の違いを
認めるしかなくてね
結果的にその本音は
全体に対して何らかの 貢献につながるものが
求められている気がします
というか
自分の本音を汲み取ると
それは結果的に全体の利益になることになるようになっているのだと思います
どういう形であれね・・
そんな時代なのねぇ