4歳になる孫の発言と聞いて驚いたものの、うちの家系ではあり得るかもと思った。

 

父は若い頃からもてていたようである。写真屋で外国人との交流もあり、毎年上海には3か月ほど滞在していた。英語がどの程度話せていいたのかは分からないものの、幼い頃、養育園で若い修道女さんと何かしゃべっていた。幼いながらも日本語ではないことは分かっていた。

 

当時の海星中学ではフランス人の教師も少なくなく、フランス語の授業もあったようである。幼い頃、父はVOAの放送を毎日のように聞いていた。もちろんすべて英語である。ある日、私は何と言っているのか聞いたことがある。父はニュースと音楽だといって、色々な話題を話してくれた。

 

兄弟姉妹では私だけが「父親っ子」と言われていた。私を外に連れて行くのは、兄弟姉妹ではなくいつも父だった。幼くして下の妹が急に無くなってしまったからもしれないものの、溺愛に近いのではとも言われた。そんな中、母親までもが「あんたは父親っ子だから・・・しなさい!」と言っていた。それは私が結婚するときまで続いた。

 

父と一緒に歩いていて気づいたことがあった。

きれいな人を見ると、しっかりと見ていた。通り過ごした後も振り返ってみていた時は、私自身もきれいな人ではと思った。そしてよく若い女の子からも話しかけられていた。私はその度に抱っこされていた。当時の私は痩せていて無口だったからかもしれない。

 

父は家の開放している廊下でよく本を読んでいた。多分長崎から田舎に引っ込んだ時は、何もすることはなかったのかもしれない。写真屋の仕事以外は暇な毎日だった。だから私が学校から帰ると、しばらくして父と一緒に廊下で昼寝をするのが日課だった。

 

父が大事している本があった。写真年鑑だったのではと思う。その本の中でよく開いているページがあった。それはハッセルブラッドという写真機のページでした。多分上海で手にして、欲しいと思った写真機だったようである。その高価な写真機は、私にも魅力的な姿をしていました。

 

大きくなったら父に買ってあげようと思っていたのです。しかしそれを実現することなく父は亡くなってしまいました。当時社長として活躍していた私にはそんなに難しくない事でしたが、忙しさにかまけていたのです。それはとても後悔することでした。

 

そんな話を息子にしたら、しばらくしてからデパートから時計が送られてきました。

ROLEX Air-King 2016 という時計でした。

 

「お父さん、使っといていいよ、後で形見にもらうことにするから・・・」なんて言われました。

かみさんからは「おとうさん、息子になんて言ったの?」問われました(笑)

 

4歳で、どうしてかわいいとか、かわいくないとか分かるのかなと考えました。

 

 

そういえば、この前、孫たちと一緒に食事に行ったとき、4歳の弟の孫が可愛いおねえさんを見て、急に変なポーズをとっていたのです。息子たち夫婦は気づいていたのでしょうか。

 

「きれいな人とかかわいい人を見ると、あんなポーズをするのですよ」と、嫁は言ってました。

 

そうなんだ。「子供でも、かわいいか、そうでないか分かるのか・・・・」と考えました。

 

時折聞く孫たちの発言はどうみても子供とは思えないものもあるのです。息子たち夫婦の会話に割り込む話の内容は、どう考えても子供の対応ではないのです。子供でも高度の分析や判断があるのかなと思えるほどの発言だったのです。

 

大学で研究の一貫して、子供たちの発言を記録し分析したことがあります。そのとき比較したのは、幼稚園の年長組と小学一年生でした。その結果は、幼稚園の年長組の方が大人のような発言だったのです。あたかもちゃんと内容を理解しているのでは思えるほど整然としているのです。

 

4歳児でもちゃんとわかって発言しているのですね。