通勤での乗り換えは上野駅と赤羽駅の二つです。

7時近くには赤羽駅で乗り換えです。つまり私には残業がありません。

 

赤羽駅では時折パンを買って帰ります。最近の赤羽駅はきれいで過ごしやすいのです。

その人とは時折一緒です。降りる駅も武蔵浦和で、私はそれから普通に乗り換えます。

 

その人とは、10年ぐらい前にも朝の通勤の電車で一緒でした。

電車の中ではいつも読書をしています。赤茶色のブックカバーは微妙に他の人達の赤茶色とは異なっていました。きれいな髪、物静かな雰囲気、でも声を聴いたことがありません。携帯電話を操作している場面に遭遇したことがないのです。

 

 

そして去年ぐらいから、帰りの電車で一緒になることがありました。

私はいつも最後の方に乗りますからドア際です。その人はドアの近くなのですが、滅多に近くにはなりません。そして電車の中でも読書をしています。もちろんどんな本を読んでいるかもわかりません。

 

先日は、交通機関もトラブルで帰りの電車も混んでいました。しばらくしてから気づきました。その人は私のすぐそばで肩が振れ合うほど近くでした。でも満員なのでつり革もつかめませんでした。満員なので読書もできません。ただ時間を待っているという電車でした。

 

その感覚は、あとからついてきました。寝るときになって、触れ合う肩の感覚に気づいたのです。

不思議な気持ちでした。その人の顔の表情や触れ合う肩の温度までが感じられるのです。それはデジャブーのような感覚でした。

 

小学生のときの転校生の桂子ちゃんのことを思い出したのです。桂子ちゃんは妹とあそび場で遊んでいたのです。近くを通りかかった私は桂子ちゃんに呼び止められ、一緒にブランコに乗ったのです。しばらくしてブランコを降りたとき、桂子ちゃんの肩と私の肩がぶっつかったのです。そうすると、もう一度桂子ちゃんが肩をぶっつけてきたのです。私は多分驚いた表情をしたのでしよう。桂子ちゃんが怪訝そうな表情を見せたのです。

 

そんな二人を妹が見て大笑いしていました。

大好きだった桂子ちゃんは中学生になるとき、長崎に戻ってしまいました。

 

多分、この感覚は2,3分の間のことのように思います。その夜はぐっすりと寝て翌日の目覚ましに気づかないほどに熟睡していたのです。

 

「胸がキュン」となるような感覚は、幼い時のものだと思っていました。しかし、私にはそうは思えないのです。空想の世界に漂う気持ちがそうさせるのかもしれません。

 

毎朝、体重計の乗ると、実年齢より15歳近くも若い表示になります。故障しているのかもと思ったのですが、家族は4,5歳若く出る表示を見ると、そんなにもおかしくないのかもしれません。都合の良いことは信じることにしました。

 

 

また暑い夏がやってきました。 故郷の夏を思い出しています。