デカルトの言葉ですね。

 

私の大学時代はいわゆる学園闘争のときでした。

大学内は荒れ放題、授業も休講が多かったような記憶があります。

オリーブというあだ名の女子学生は、教室に入ってきて、集会への参加を呼び掛けていました。

美人で背が高く少し痩せていて、テレビに登場するポパイの相手役のオリーブにそっくりだったのです。

後で分かったのですが、彼女は父の友人の娘さんだったのです。

 

集会に参加しない私たちは「ノンポリ」と言われていました。

「ノンポリ」=「何もしない」

という方程式までありました。

私たちは戦後教育の見本みたいなものでした。

「体制側に文句を言わない」教育を受けてきたのです。

今の日本は、その戦後教育の影響をもろに受けているのではと思っています。

 

学園闘争の主催者はそのほとんどが社会科の学生でした。もちろん彼女もそうでした。

私たち「ノンポリ」を見る彼女の表情は実に悲しそうでした。

「あなたたちに言ってもしょうがないのかもしれないけど、日本はこのままじゃいけないのよ・・」

と言うのはチャント伝わっていました。彼女は将来政治家になるのではと思ったのです。

 

そんな中、私は医学部の友人といろいろな話をしていました。

彼に合うと、「cogito ergo sum」から始まるのです。

「こう、ちゃんとわかってる?」と言わんばかりの表情でした。

 

そして、おもろむに「我思う。ゆえに我あり」と仰々しく言うのです。

そんな挨拶から始まるのですが、話は要するに「女の子の話」ばかりでした。

それも「振られた話」ばかりです。成功した例は皆無でした。

「医学部なのに何故持てないんだろう?」と言うのは口癖でした。

 

そんな彼がある日

「こう、とうとう俺にも彼女が出来たんよ」

と言うのです。

「えっ、そうなの・・・もてないんじゃなかったの?」

と問うと、

「彼女さ、あの可愛い彼女なんだよ」というのです。

つまり彼女とは可愛いと評判の医学部の学生でした。

若尾文子さん似の彼女は、美人だけでなく才媛でもあったのです。

「こう、どうしたらいい?」

といつもより真剣な表情で私に聞くのです。

「どうするって?」

「つまりだな・・・どうつき合えばいいか、ということだよ」

「普段どおりでいいんじゃない」と私

「こう、ちゃんとまじめに考えてくれよ」と頼むのです。

その真剣な表情を見て笑ってしまったのです。

 

「もうあんたとは付き合いたくない」と言ってクラブの部屋を出ていきましたが、直ぐに戻ってきました。

「トイレにいってたんよ」

と言うのです。

 

父親は医学部の教授、母親は知られた企業の一人娘さんでした。

彼は、当時としては珍しいスポーツカーも持ってました。

 

風の便りに、彼は父親の病院を引き継いで、規模を大きくし、院長先生と呼ばれているようです。

相変わらず、車好きのようで、外車も2,3台所有しているとのことでした。

 

しかし、今考えてみると、何故彼は哲学に興味を持ったのでしょうか。

いだによくわかりません。

 

 

AIの時代、「コギト エルゴ スム」は再び脚光を浴びているのです。