リスクヘッジとは、起こりうるリスクの程度を予測して、リスクに対応できる体制を取って備えることです。英語では「Risk Hedge」ですが、もともとはドイツの保険関係の用語だそうです。 日本では、リスクヘッジとは一般的にはリスク回避とされています。

 

リスク とは、「ある行動に伴って(あるいは行動しないことによって)、危険に遭う可能性や損をする可能性を意味する概念」されています。例えば、投資には危険をともないます。それをリスクと呼んでいる訳です。

 

ヘッジとは外国為替用語で、商品・株式・外国為替の取引において買い方の値下がり損や売り方の値上がり損を防ぐために逆の空売り・空買いをする保険的な操作のことを指しています。「リスクをヘッジする」という日本人に分かりやすい表現もあります。

 

「リスク」を「冒険」と言い換えて使っている人もいます。リスクが冒険なら、ヘッジは何なんでしょうか? 例えば「ヘッジ」は「準備」や「備え」と解釈することもできます。

日本では、「お茶する」ように「お茶:名詞」「する:助動詞」が普通に使われています。しかし本来、お茶は飲み物、飲むもの、いただくもの、嗜むもの・・・のはずですが、・・・

 

先日在った友人はこんなことをしゃべっていました。

「あの人は石橋を叩いても渡らない人さ・・・」と言っていたのです。慎重だということよりも臆病なんだよ・・と言いたげな発言でした。元々の語源は「石橋を叩いて渡る」ですね。

慎重すぎる人や、臆病すぎる人に対して、皮肉をこめて使う場合もありますが、「石橋を叩いて壊す(用心深くなりすぎた為に失敗する)」なんていう表現もあります。確かにそんな人も居ますね。もうこうなると滑稽ですね。

 

近い表現に、「虎穴を探らざれば虎子を得ず」という言葉もあります。

虎の住む洞穴に入らなければ虎の子は得られないという意から、何事も危険をおかさなければ、目的を達したり、大きな成果を得たりすることはできないということを指しています。

「虎の子」とは大切にして手離さないもの。秘蔵の金品等を指していますが、ダイレクトに「お金」と表現する人もいます。この方が分かりやすいですね。

 

 

私にとっても最初の冒険は、「夜に外出すること」でした。

幼い私にとって、夜の闇はとても怖い存在でした。戦後間もない田舎の町では、外灯はなく、家明りだけが頼りでした。ろうそくを灯す提灯の必需品だったのです。

 

兎に角、私はなんにでも怖がる「怖がり屋」だったのです。

卒園して、次の日から小学生になろうとしていたある夜、私は家出を試みました。

 

家を出て、2,30mぐらいまでは、近所の家明りで大丈夫だったのですが、脇道の暗い坂を目の前にしたとき、「ものすごい恐怖」が私を襲ったのです。それでも20mほど坂を上ったとき、突然に二つの光る目に遭遇したのです。その光が猫の目とは気づきませんでした。

心臓の鼓動が速くなり、手足が緊張してしまって先に進めないのです。それでも一歩足を先に進めたとき、「ふーっ」とうなり声が聞こえたのです。その瞬間、私の体は緊張のあまり硬直してしまいました。それは猫の鳴き声だったのです。私は急いで反転して走り出しました。しかし足がもつれて転倒してしまいました。それからは必至にもがき、やっと立ち上がって、やっと家に辿り着きました。家の玄関では、「こう、どうしたん」とお母さんの声が聞こえました。多分、顔は引きつっていたのだと思います。こうして、私の冒険は始まりました。

 

私の町は離島で、自宅から500mほど山の方に進むと、もうそこは山の麓でした。

小学校の五年生になったばかりの初夏、夏休みの初日にその山の麓に来ていました。これからその山に登り、森林の中に入ってみようと思ったからです。もちろん一人でです。

 

私にとっては、大きな冒険でした。

途中、牛の親子に遭遇しました。以前牛の追いかけられて怖い思いをした私は、「牛に目を合わせない」という教訓を覚えていました。私はそっと、その牛の親子のそばを通りました。もちろん、目を合わせないようにして、牛と反対側を見ていましたが、それでも怖くて、見たいという気持ちを抑えてここを通り過ぎました。

「ほっ」とした気分は、この時が初めてだったのかもしれません。何後もなかったので、教訓の大切さを学んだようにも思えました。

20分ぐらい歩いていくと、もう山の入口でした。木々が生い茂ったところに少しだけ空間が開いているところが山の入口でした。もうこのときから心臓の鼓動が聞こえていました。怖かったのだと思います。

 

「勇気を振り絞って」歩き始めました。最初は木々もそんなに多くなく、明るい感じでした。しかし20分近く経つ頃には、辺りが少し暗くなっていました。もう少し足を進めると、そこは杉林でした。その前に竹林を通り過ぎていました。静かなんです。鳥や昆虫の音だけが聞こえます。

 

こんな山奥に一人で来たのは初めてでした。空を仰ぐと、杉林の切れ目から青い空が少し見えます。暑さはなく、ここまでくると少し肌寒い感じがしました。そして不気味な静寂さの中で、私は急に怖くなりました。そして聞こえたのです。

「もっと奥の方においで、怖がらなくてもいいんだよ・・・」

それは大きな木の声でした。低音の優しい感じの男の人の声だったのです。

後ろを振り向いて帰ろうとすると、この声が聞こえるのです。私は困惑してしまいました。

 

「怖いんです」・・「兎に角、怖いんです」


怖いんですが、私は比較的落ち着いていました。しかし前に進めません。

帰ろうとするまたあの声が聞こえるのです。

「もっと奥の方においで、怖がらなくてもいいんだよ・・・」

2,3度も経験すると、また同じようなことが起きてしまうという恐怖にかられるのです。

 

極度の緊張の中で、微かな甲高い声が聞こえてきました。それは確かに二人の声でした。

私は、「もしかしたら」と思って、周りを見渡しました。それは居たのです。

7mぐらい先の小さな木の枝の近くにたむろしていたのです。トンボではありません。

背丈は15cmぐらいの二人の妖精でした。男の子と女の子でした。

 

 

背中には、トンボみたいな透明な羽がついていましたが、トンボみたいに速くではなく、羽はゆっくりと動いていたのです。そんなゆっくりでも宙に浮ているのです。

 

この妖精を見ていたお陰か、私の気持ちは落ち着いてきていました。

「こう、もう帰りなさい・・・この奥は、もっと大きくなってからね・・・」

と女の子の妖精の声が頭の中で聞こえるのです。男の子の妖精も私の方を見て頷いているのです。

 

私が躊躇している間に、この二人の妖精は杉林の奥の方に飛んでいきました。

少し甲高い二人の妖精の「笑い声」に思えました。聞こえるのではなく、頭の中で声が回るのです。妖精は以前見たことがあったので、驚きませんでした。

 

私はいつのまにか向きを変えて、歩きだしていました。

そしてまた聞こえました。あの妖精の声です。

「後ろを振り向いちゃダメよ。分かった?」

そんな感じの声が何度かしました。女の子の妖精の声でした。

私は50分近くで、やっと山のふもとに戻ってきました。

急に暑さが感じられたのです。青空がまぶしいほどでした。

腕と額にはうっすらと汗がにじんでいました。

山奥でのあの恐怖心は何だったんだろう、と考えていました。

もちろん、あの時の怖い気持ちはどこかに吹き飛んでいました。

 

「今日から、夏休みだ。・・・何しようかな・・・」

と、普段の私に戻っていました。

 

多分、この経験は一生忘れないだろうと考えていました。

 

その通りでした。今でも鮮明に覚えているのです。