「近視や遠視や乱視の人にはメガネが必要だろう。物事を分かるためには知識や経験が必要なんだよ。・・・俺ももっと若いときに気づくべきだったよ」

 

古物屋の親爺さんは大正メガネに触りながら笑っていた。

「こう、勉強はそのためにするんだよ・・・本を読むだけでなく、人の話も聞くことだな・・・」

 

「メガネが必要としない人は、チャント見えているからといっても、物事の意味を理解することは別だな・・・やはり知識や経験がないと本当のことは見えていないことなる。・・・」

 

「こう、我々は無駄で生活しているといっても、・・・わからんだろうな・・・」

「親爺さん、無駄で生活しているってどんなこと?」

「つまりだな・・・無駄を作って、無駄を売って、無駄を買って、無駄を使ってということだよ・・・でも、・・・わからんだろうな・・・」

 

実際のところ、親爺さんが何を言っているか、そのころの私には理解できなかった。

 

下宿屋の近くに住んでいた調先生は、「薬なんて本当はいらんもんだよ。風邪だって、しばらく寝ていると回復するもんだよ。薬を使うから、体が余計に変になってしまう。本当は医者だっていらんのだけどな・・・でも、たまに医者が必要な場合がある。・・・」

 

調先生は偉い先生だった。大学の名誉教授でいつもニコニコしていた。その調先生は、時折いろいろなことを話しかけてくれた。今考えると、「もったいないことをした」と思う。下宿おばさんは、調先生に話しかけられたという一件だけで、私をかわいがってくれた。人生の出会いは不思議な縁で成立していた。

 

私には不思議な経験があります。

目の不自由な義理の母を大阪の弟さんのところに連れて行ったときのことである。夜8時ごろだったと思う。甲子園の近くを歩いていたら、突然、ある易者に手招きを受けた。私は何かに吸い寄せられるようにその易者の前に座った。

 

私は手の平を下にしてその易者に両手を差し出した。

「珍しい人もいるもんだ・・・」とその易者はつぶやいた。

「左手だけでいいよ。手の平を見せて・・・」

と言って、私の手を強引に引き寄せた。

「う―ん、・・・うーん・・・」

兎に角、変な人だなと思った。

易者の話は意外なものだった。私には理解しがたいものでした。

帰り際、「易者に見てもらうのは、これで終わりにしなさい」といった。後で考えてみると、お坊さんのようにも思えた。

 

地下鉄サリン事件の日、寝坊して日比谷線の電車の乗る時刻が遅くなってしまった。仕方なく、お昼近くになって近くの蕎麦屋でニュースを見た。事件の重大さは後から知った。その日の朝、起きた時、目がカメレオンみたいになって、また寝てしまった。それで寝坊した。そんな状態に目がなることも初めてだった。誰かに救われたのではと思っている。

 

「見えている人に見えていたもの」

 

 

ある出会いで、その人の考えや思いを教えてもらう機会がやってきた。その人には、いろいろなものが見えていた。逆に私にはそれが見えていなかった。その差は何だろうと考えた。それは知識や経験だった。私は年間4,50冊の本を買って読む。本を読むのは今でも楽しい。毎週のようにamazonから本が届く、かみさんからは「また来たよ」と言われる(笑)

 

でもその人は、年間200冊以上の本を読んでいた。驚きである。

いつ会っても笑顔でニコニコしている。思い出してみるといつも笑顔である。話をすると、色々なことに興味や関心があることが分かる。とにかく楽しい。

 

最近になって、見えなかったものが見えてくるようになった。

それもかなり正確なものだった。現状にしても近い未来予測にしても、である。今も知識は人に何を与えているのだろうと考えている。

 

それにしても今年は寒いですね。もう春なのに冬みたい。

今年は、東京もさいたまも冬の服装の人が多い。

 

早く春が来ないかな・・・