幼い頃、私と父は縁側でよく昼寝をしていた。そんな私たちを母は見て、「仲の良いこと・・・」とよく言っていました。下の妹が幼くして亡くなったこともあって父は私を特にかわいがってくれた。今でも「あんたはお父さん子」と兄弟姉妹から言われる。ちょっとした嫉妬心も入っているのかなと私は思う(笑)

 

写真屋の父は戦前かなり良い生活をしていた。雲仙で外国人向けの写真屋として活躍し、毎年3か月ほどは上海で過ごしていた。父は私に上海でのいろいろな出来事を話してくれた。社交界の話、インドの魔術師の話、ヨガの行者の話、さすがに女の人との話はあまりなかった。でも時折かわいい感じの外国人の女性の話が出てくることもあった。

 

当時のいくつかの女性の写真があったものの、当時の私は興味を持つことはなかった。ただ「きれいな女の人」というような印象は持っていたように思う。戦後、離島に移り住んだ父は時折近くの養育院に私を連れて行った。そことには外国人の修道女が数名住んでいた。

 

20代のかわいい感じの修道女は幼い私を抱っこしてくれた。初夏の離島はとても暑く、それでも彼女は黒っぽい修道服を身に纏っていた。私は首の付近の産毛が気になり触ろうとした。すると彼女は私の手を取って、首から肩にかけての部分を触らせてくれた。

 

その「すべすべした感じ」はとても気持ちよかった。地面に降りた私は、同じくらいの子供たちと遊びまわった。父が私をここに連れてきていた理由はあとから分かった。

 

私は小学校に入学したころから4年生のある時期まで記憶がありません。多分、妹の死が影響しているのかもしれません。階段から落ちて、「やっと正気に戻った」というような感じを今でももっているのです。それは、霞が取れてハッキリとものや物事が見えるようになったからです。

 

物事の結果の原因と理由みたいなものがよく見えるようになっていたのです。5年生の時の成績はかなり変化していたのです。それまでの通知表には1,2が並んでいました。それが5,4になっているのです。当時母が急に私に期待を持ち始めたことが分かりました。しかし父は普段のままでした。時折、父は私を散歩に連れて行きました。

 

かわいい人、美人の人が通り過ぎると、父は必ず振り返ってみていました。しばらくすると私も父と同じようにしていました。かわいい人、美人の人を見ると何故か安心していたのです。当時父は写真屋以外にする仕事もなく、毎日のんびりと過ごしていました。生計はもっぱら母の役目でした。母の方が商売上手だったのです。

 

「お父さん、僕カメラマンになりたい」と中学生になったばかりの時でしたが、父に言いました。父は、しばらく返事をしませんでした。「カメラマンって、大変だよ。・・・特別な才能も必要だし・・・・もっとほかにもいろいろな仕事があるだろう・・・・」

私は何となく父が「止めといた方がいいよ」と言っているように感じました。この話は、これ以上はしませんでした。

 

家には写真関係の雑誌がいくつかありました。父はそれを丹念に読んでいました。その中に「写真年鑑?」がありました。特に高価なハッセルブラッドのカメラを見ていたのです。幼い私は「おおきくなったら、この写真機を父に買ってあげよう」と思っていました。

 

 

父は時折、いくつかの写真機を買ってくれました。当時写真機を持っているのは私だけでした。もちろん、私にはその価値もよくわかりません。自慢のネタにもなりえなかったのです。

 

先日、デパートから時計が届きました。

数日後、家に来た息子は「お父さん、使っといていいよ。・・」とその時計をプレゼントしてくれました。ROLEXのAir-Kingの2016年モデルでした。ローレックスの時計はあまり好きではありませんでしたが、この時計はローレックスらしくなく、気に入りました。でも毎日ねじを巻く必要があるのです。ちょっと面倒な感じはします。土日と何もしなかったら、時計は止まっていました。手間のかかる時計のようです。

 

私はこの時、幼い時の夢を実現できなかったことを思い出しました。親父にハッセルブラッドのカメラを買ってあげることが出来なかったのです。当時もやはり高価な写真機でした。でも買おうと思えば実現できたはずでした。今もそのことを少し後悔しています。

 

父は私に口癖のように「見て、感じて、想像せよ・・・」と言っていました。この言葉は私の世界観に大きな影響を与えました。物事がよく見えるようになったのです。父はこの言葉の裏側で「勉強をしなさい(知識をえなさい)」と言っていたのです。そのことに気づいたのはかなり後になってからでした。「見て、感じて、想像せよ・・・に知識が必要だったのです」

 

現在の、混乱の世の中、この言葉の意味をかみしめています。

マスコミが正常に機能しなくなった現状では、自らが知識を得て、見て、感じて、想像する必要があるのです。これが生きるための現代生活の知恵なのではと思っています。