もう若くはない、と思ったのは50代になってからだったと思う。

これまで見えてこなかった世の中のことが段々と見えてくるのも、この世代です。しかし、見えるのに見ようとしないのも、このときなのです。「世渡りが上手なった」という人もいますが、「結局は、冒険しなくなった・・・ずる賢くなっただけ・・・・」という人もいます。

 

ある人から「心を如何に新鮮に保つかが、その後の人生の分かれ目・・・」ということを聞きました。確かにそうかもしれません。心を新鮮に保つなんて、この歳のなっても考えてもみなかったからです。その人はやはり気持ちが若いと感じました。人生を楽しんでいるとも思えるのです。だから笑顔が多く、何かにつけて大笑いします。傍にいる私も、ついにその笑いの輪の中にはいっていたのです。

 

お世話になった古物屋の親爺さんはいつもニコニコしていました。不思議な笑顔でした。「こう、笑顔は商売道具の一つなんだよ。お金はかからないし、自分だけでなく、相手も気持ちよくさせることができる・・人が獲得した宝でもあるんだよ・・・・」と言ってました。

 

松本清張の本は親爺さんにとって、必需品に様にも思えたのですが、「しかし・・・気が滅入ってしまう・・・」ということも漏らしたことがありました。そんな時はきまって私に話しかけるのです。「こう、楽しんでるか、学生生活、今しか経験できないんだよ・・・だから・・・」と長々と話しかけるのです。私は「わかってるよ・・・・」と応えたのですが、本当は分かってはいませんでした。

 

戸惑いみたいなものを感じたのは、小学5年生の時でした。大好きだった先生から同じ学級の女の子のことを好きなんでしょうと問われたときでした。すぐには答えられなかったのです。私にとっては「思いがけない質問」だったのです。好きという気持ちもあまり理解できないほどに幼かったのかもしれません。しかし、その時からその女の子のことを気にするようになりました。

 

今まで普通に話しかけていたのですが、話しかけるのを躊躇するようになったのです。「こう、どうしたの・・・」と言われたときには、心臓がバクバクしていました。気持ちが悪いのではなく、体が勝手に反応していることに驚いたのです。うまく返答できませんでした。勿論、好きである気持ちは変わらないのですが、うまく気持ちを相手に伝えることが出来なかったのです。

 

当時の私は「気弱な男の子」だったのです。母と兄弟姉妹からは「こうは、お父さん子・・」といわれていたのです。父が私をかわいがってくれていることを自分でもわかりました。それは大学生になっても、社会人になっても同じでした。父から叱られたことがなかったのです。半面、母からはしょっちゅう叱られていました。母から見ると「優柔不断な子」だったのです。

 

田舎の川は短くて小さいものでした。父とウナギ取りに行ったとき、川の側面で水が停滞している場所を見ていた私に、「そこはよどみというんだよ」と父が教えてくれました。「よどみ」という言葉は初めて耳にするものでした。不思議な感じがありました。「よどみ、よどみ・・・」と頭の中で何度も繰り返すのです。

 

再びよどみに出会ったのは大学生の時でした。大学改革を叫ぶ女の学生がよどみなく喋りまくっていたのです。「よどみなく」と意識したのはしばらくしてからでした。ある小説の中に同じような言葉が出てきたからです。「停滞することなく・・・」という理解はすぐにできました。「よどみ」という言葉の不思議な余韻はまだ残っていました。

 

 

結婚したのは「気性の激しい感じのかわいい女性」でした。私にないものを求めたのかもしれません。優柔不断というものがありません。意思が強く、安易に他人に同調するようなことはありませんでした。一緒に生活を始めた時、「反対の面」があることが分かりました。私は安堵すると同時に、「この人と一緒に人生を歩もう」と考えていました。お互いの共通点は「JAZZが好き」ということだけでした。それは今も変わっていません。

 

最近になって、また本を読み始めました。まだ現職なので、どちらかというとビジネス関連の本が多いように思います。しかし時折、衝動的に小説を買います。本の表紙だけで決断するのです。どういう訳かかみさんの嫌いな猫が小説の中に登場するのです。私にとっては「本の本能買い」なのです。でも、読みたくないと思った本は皆無です。不思議な愛着があるのです。これは今までになかったことです。

 

歳をとってくると、窓際ではなく、淀みの中にいるような感じがあることがあります。しかし以前のような焦燥感はあまりないのです。どちらかというと、「まあ、こんなもんでもいいのかも・・」と思っている自分がいるのです。それを「歳の功」と表現する人もいます。つまり歳をとると何でもありなのです。しかし気持ちは歳をとらないようにすることが出来るように思います。

 

「何事も経験、・・・失敗してもいいじゃないか、・・・最後に成功させればいいんだから・・・」と古物屋の親爺さんが言ってみましたね。若い人たちにも知ってもらいたい言葉です。

 

            それに「人間万事塞翁が馬」も・・・