人はどうして、ミスを起こす動物であることを忘れてしまうのでしょうか。それに歴史的な教訓に学ぼうとしていません。そして再び過ちを犯してしまいます。反省はせずに後悔してばかりしている変な動物なのです。人は概して賢くはないのかもしれません。
原発神話の時代には、私達は漠然と「そんなものかな・・・」と考える程度でした。しかし地震・津波による原発の被害は甚大でした。原発神話は過信というより、横暴に近いのですが、この国の為政者はこの場に及んでも原発を推進しようとしています。バカなのですね。お金で置き換えられない多大な損失を与えてしまったことに気づいていないのです。
それに誰もこの事故の責任をとっていないのです。あたかも「国民全体の責任だ」と言っているように思えます。私達は経済だけで生きているのではありません。人としての尊厳やプライドを持っています。この国はそんなものを大事にしてくれないのです。でもそれも私達が決めたことなのです。リスク管理は私達の手にあるのです。それに早く気づく必要があります。
原発の推進が主に経済的な理由と言われているのですが、思わぬ災害や事故を含めた損失を計上してみると全く経済的とは言えないのです。推進者はそのことを必死隠して推進しようとしていますが滑稽に見えます。つまりリスク管理が出来ていないのです。
為政者は実に多くのことを見ていく必要があります。しかし我国の為政者は経済に指標を置いています。それは国民が経済に敏感に反応するからです。本当は私達が全てのことに目を向けて関心を寄せなければいけないのです。つまり国民が賢くならないと国は立派にはなれないのです。
リスク管理に関して一つのモデルがあります。勉強を始めた頃、この当たり前のモデルに不思議がったり、感心したりしたものです。このモデルは分かりやすく単純ですが、リスク管理の要点をしっかり押さえています。それは「人は必ずミスを起こす」という基本的な考えが中心にあるからです。
スイスチーズ‐モデル(Swiss cheese model)とは、リスク管理に関する概念の一つです。スイスチーズの内部には多数の穴が空いています。穴の空き方が異なるスイスチーズを薄切りにして何枚も重ねると、空気の穴が貫通する可能性は低くなります。
空気の穴が貫通すると言うことは、情報が漏れるなどのリスクが発生していることを示しているのです。
つまりリスク管理においても、視点の異なる防護策を何重にも組み合わせることで、事故や不祥事が発生する危険性を低減させることができることを示しています。スイスチーズモデルでは、完璧な防護壁は存在しないと認識した上で、個々の防護壁が正しく機能するよう監視することが重要とされているのです。
このモデルは単純なものですが、「完璧な防護壁は存在しないと認識した上で・・・」とあるように人は完璧でなく失敗するものだという前提に立っているのです。でもこれはリスク管理ではとても大事なことです。日本が米国より遅れているというのは、この観点が欠落しているからです。
原発神話とは根本的に異なるものです。原発に対してもこのようなスイスチーズ‐モデルを採用し、謙虚にリスク管理にあたっていれば、あのような大惨事にはならなかったと思っています。残念でなりません。
人は成功体験が長く続くと傲慢になります。そして「私には失敗はない」と思うようになります。このように思った時点で、この人はミスを起こしてしまっているのです。そしてミスを起こしてしまっても、「そんなはずはない」と過信していることに気づきません。こんな人は人が持っている基本なミスに気づいていないのです。
人は不思議な動物です。成功体験がかなり長く続くと、成功でない体験、つまり失敗を起こしてみたくなります。「そんなことはない、そんなはずはない」と皆さんは思われるでしょうか。人は心の奥底で失敗を待ち望んでいるかのように変化しているのです。その誘惑に勝つことは至難の業でもあるのです。
そんな時期はどのような時に現れるのでしょうか。成功体験がかなり長く続き、何も考えなくてもいいと思っている時にミスは起こっています。一瞬、安心したものの、直ぐに事の重大さや深刻さに気づいて驚愕するのです。おかしいでしょう!
でもどうしてこんなことが起きてしまうのでしょうか?
ある航空機事故は、パイロットがコックピットでコーヒーを飲んでいたところ、乱気流で機体が揺れコーヒーを操縦席の計器の上にコーヒーをこぼし計器類が故障してしまったことが原因だったのです。単純なミスが尊い人命を奪ってしまったのです。
状況は私達が家のパソコンにコーヒーをこぼしたのと同じものですが、その影響は大きく異なるのです。単なるパソコンの故障で済むのではなく、飛行機の場合、操縦に大きな影響を与えることになると考えられるからです。状況は同じでも、結果は大きく異なるのです。リスク管理にとって状況確認は重要なのです。
でもこのことは「よく考えれば分かること」なのでしょうか。人には危険を察知する能力が備わっています。しかし現代人はその能力も失いつつあるのです。古代の人達より健康で丈夫になったのでしょうか。いやいや、そうとも言えないのです。そこには人の傲慢があるのかもしれません。文明や科学技術の発達によって、人は自分自身を万能とまで過信するようになってきたのです。原発神話もその一つでした。
「本当のリスクは私達、人の中にある」と言う人達がいます。いろいろな問題やトラブルの原因を突き詰めてみると、最後に残ったのは人でした。つまり人がミスを起こしていたのです。全ての事象に人が関わっていたのです。このことについては、人は早くから分かっていたのです。
車や船の場合、走行の途中でエンジントラブルあっても大きな問題とはなりません。でも飛行機の場合はどうでしょう。飛行機でのエンジントラブルは致命的なものなのです。ここで少し観点を変えてみましょう。車であっても高速道路でトラブル場合はどうでしょう。後続車に追突される危険があります。人は車外に出ることさえも危険なのです。
急流を登り下る船の場合はどうでしょう。船が操縦出来ないと言うことは、やはりとても危険なことなのです。
危険とは対象物がどこに存在し、どのような状況なのかが重要なのです。つまり博物館に展示されたクラシックカーはエンジンが動かなくても問題はないのです。停泊している船も同様です。エンジンが故障した状態であっても、その時は問題ないのです。
車の場合、車検という精度があり、車の状態を数年ごとに検査するようになっています。このことが事故を未然に防いでいるとも言われています。飛行機の場合、もっと厳しい検査があります。構成する部品毎に検査期間が決められているのです。この厳しい検査がエンジントラブル等の事故を未然に防いでいるのです。
それでも事故は起きます。自然災害が原因の場合も多いのですが、最大の原因はやはり人なのです。多くの事故の原因を突き詰めてみると、やはりそこには人が存在していたのです。唖然とする程に事故には人が関与していたのです。
紛争や戦争も一つの事故という考えがあります。それは人が起こしてしまった問題でもあるからです。紛争や戦争となれば、自国の問題だけではありません。相手国の状況も問題となります。私達は外交的な手段によって紛争や戦争を回避してきたのです。
それでも結果的に紛争や戦争となり、生命や財産や精神的な苦痛等の多大な犠牲を払った歴史があります。人はなんと愚かなのだろうと思わざるをえません。紛争や戦争も一つの事故という考えには、これらのトラブルがリスク管理の面から回避できるという考えがあるからです。これはとても重要なことです。
「紛争や戦争を起こさない為のリスク管理」という考え方があります。米国の場合、武力行使を紛争状態や戦争状態と区別しています。つまりリスク管理の為の武力行使が必要との考え方があるためです。でもこの事はあまり知られていません。米国が多くの紛争や戦争に関与をした結果、生まれたものだとも言われています。
勿論、こんなことは日本では認められていません。しかし現実にはこのようなことから自衛隊等の海外派遣が行われているのです。武力行使も視野の中に入っているのです。そうなると日本が紛争や戦争に巻き込まれる危険は高くなります。つまり日本でも本格的に「紛争や戦争を起こさない為のリスク管理」が必要なのです。
しかし現状はかなり不満足なものです。基本的な姿勢に問題があると言われています。米国の知識人達は、「日本が中国や韓国に対して攻勢に出る必要は何もない」と言っているのです。つまり「隣国とも仲良くしてほしい」と言っているのです。「日本はリスク管理がなっていないのでは・・・」とも言われているのです。
表面的には穏やかに見える日本は、海外から見ると最も危険な状況にあるとも言われています。国内にいろいろな不安要素が存在しているからです。原発神話、サリン事件、原発事故、原発事故対応、尖閣列島問題、首相の隣国に対する姿勢、公共放送NHK、
・・・そしておかしな人達の出現は特に問題視しています。
我が国はどこに行こうとしているのでしょうか?
歴史を遡ってみると、紛争や戦争は、為政者というより、国民の考え方が問題であることが分かっています。無関心、無知、事実を知ろうとしない(他人任せ)、皆と同じことをすれば良いと思っている、為政者の忠実なロボットになる・・・・等
私達国民が自らのリスク管理を行う時が来ているのです。大マスコミの動きも大きな影響があります。海外のメディアからも忠告されるほど、体制側よりの報道に徹しているのです。原発事故にまつわる様々な危険を国民に知らせようとしていません。唯一、東京新聞だけが警告を発しているという異常な状態なのです。
つまり為政者は、何も知らされていない国民が体制側の動きに無批判で同調することを画策しているのです。海外メディアが問題視というより危険視しているのは、国民に真実を知らせずに誤った判断をさせてしまうと言うことを懸念しているのです。私達はこのことに早く気づくべきです。
海外メディアは、福島原発の事故処理状況がかなり危険な状況にあり「東電に任せておくような安易な状況でない。国が責任を持って対処すべきだ」と言っているのです。国民には福島原発の大変危険な状況は全く報道されていないのです。私達は我国の未だかってない危険な状況を自らが調査し真実を確認する必要があるのです。
リスク管理はまず真実を知ることから始めなければならないのです。真実と異なる事実からのリスク管理は全く意味を持ちません。それはかなり危険だと言うことを認識すべきです。大マスコミがあてに出来ない以上、私達自らが動き出す必要があるのです。

