脳がいろいろな感情を制御しています。喜怒哀楽をはじめとして、好き嫌いなどもその制御の対象となっています。好き嫌いについては偏桃体が大きく関わっていることなども分かっています。

脳の制御で面白いのは、アクセルとブレーキを同時に踏むような制御をすることです。ある目的を達成する場合、本来はブレーキ一つで十分に制御できるような場面でも、アクセルの制御を行っているのです。

アクセルとブレーキを同時に使うような場面というのはあるのでしょうか。もちろん現実にはあります。サーキットでレーシングカーのドライバーは急なコーナーを走行する時にアクセルとブレーキを同時に踏んでコーナーを通過します。

優秀なドライバーはこのコーナーですぐ前の車の前に躍り出でしまうような抜き方を披露してくれることがあります。見事なテクニックです。このようなテクニックはアクセルのみ、またはブレーキのみでは実現できません。
レーシングカーの仕組み上の問題もない訳ではないのですが、つまり右足だけでアクセルとブレーキを制御する場合、アクセルかブレーキの上に足があることを想像しますが、現実にドライバーはアクセルとブレーキの上に右足を置いて制御しています。
そのような制御では、アクセルのみブレーキのみだけでなくアクセルとブレーキを同時に踏むようなこともやってのける訳です。つまり瞬時に判断してアクセルのみブレーキのみおよび同時にアクセルとブレーキを踏むことをやっているのです。
同じようなことは人の脳でも行われています。アクセルとブレーキを好きと嫌いに対象化してみると分かりやすいです。ある人に対する感情の一面として好き嫌いを見てみると、好きな人という一般的な傾向の中でも、好き嫌いは揺れ動いていることが分かります。

このような動作は実は危うい動作なのです。同時に同じ時間を共有していても、同じ空間に存在していても、疑心暗鬼に陥ってしまうことがあるからです。そのくらい脳はあまり信用は出来ないのです。
制御系はそのような意味では制御しやすいと考えていいでしょう。脳が感情的な行動を表出する時、現実にはいろいろな脳内物質が分泌されることになります。しかし、これら制御が脳の一つの統合的な処理を行う場合にも実はいろいろな脳内物質が同時に分泌されているのです。おおよそ分かっているもので12程度ですが、実際のその十倍程度の脳内物質が存在しているものと思われます。
このような人の感情は、丁度料理の時の味に相当します。そのように考えた方が分かりやすいでのす。たとえば調味料が脳内部質に相当すると考えます。砂糖・塩・醤油・味噌・トウガラシ・カレー粉・スパイス・・・化学調味料なども考えられます。

つまり人の感情の状況をこれらの調味料の合成の結果と考える方法です。もちろん評価の仕方は異なるものとなりますが、旨い・美味しい・まずい・美味しくない・・・・・などが、感情的なから始まって・・愛・回避・接近・喜・怒・哀・楽・・・から・・・・無感情までいろいろです。
一般には、感情的な人・無感情な人・怒りっぽい人・静かな人。居るのか居ないのか分からない人・元気な人・文句ばかり言っている人・つまりいろいろな人が居ると言うことです。
ところでこのような感情はいつも正常に表出されるとは限らないのです。車のエンジンがエンストするように感情も制御不能になってしまうことがあるのです。パニック症と言われるものもそれに相当します。
私も20代の後半27,8さんの頃にパニック症に悩まされたことがあります。この頃は脳が勝手に動き出して思考をなかなか停止できないのです。感覚的には脳はアクセルを踏んでいるのに自分ではブレーキをかけようとしているのです。

結果的にはエンスト状態になります。しかしエンジンは停止しません。ガタンガタンといった感じでパニックのまましばらくは何も出来ない状態が続きました。そんな時は水を飲んだり、大声を出したりしたくなるのですが、私の場合、声が出なくなりました。
声を無理やり出そうとするとしわがれた声になってしまったのです。当時この症状がパニック症のためのものとは知りませんでした。そのため病院に行くようなことも考えなかったのです。
ある時、会議の最中にパニック症が起きてしまいました。私の番になった時、声が出来ないのです。無理やり出そうとするとしわがれた変な声になってしまいます。この時は議長が素早く対応してくれて他の人に意見を振ってくれました。その後に落ちついた私を見て、再度意見を求められたのです。その時はチャント正常に振舞うことができました。その時に分かったのです。

私は今までパニック症から必死で逃れようとしていたのです。それがますますパニック症をひどくしていた様です。一旦その症状を受け入れようとしたら気持ちが少し落ち着くことが分かりました。そんな時の水は有効でした。すぐにパニック症がおさまったのです。
その後はパニック症の症状も治まり、32歳の頃にはすっかりなくなっていました。その頃になってパニック症にも前段症状があることが分かりました。私の場合は、喉が少し変になり、咳が少し出るのです。そんな時に水を飲んだり、場所や状況を変化させると不思議にパニック症の症状は出ませんでした。そのような対応が出来ない時にパニック症になっていることが分かったのです。この咳と心臓との関係については知人が教えてもらったことがあります。

心臓が不調な時、人は咳をして心臓の不調を解消する話です。咳ばらいもすこし関係があります。つまり咳は脳を通して心臓に直結しているようなところがあるようです。逆に考えれは心臓が不調な時、自分で咳をしてその不調を整えることが出来るということにもなります。(しかし、これは個人的なものかもしれません)
ここで脳が体の不調に対して何らかの信号を出していることが分かってきています。それは従来のように痛みで知らせるのではなく、全体的にものです。漢方薬の世界でも未病という言い方があります。未病とは、病気とは言い難いものの、病気になろうとしている、病気に近づいていることを知らせているのです。この段階での対応が出来れば病気の発生は抑えられます。これは予防という意味からも大事なことです。
体だけでなく何か変だと思ったら、それは脳が体のどこかの不調を知らせていると考えるべきでしょう。脳は自分でそのような知識を持っているのだと思います。私達はそのような脳の対応を素直に受け取っていい場合も多いのです。

脳の制御で面白いのは、アクセルとブレーキを同時に踏むような制御をすることです。ある目的を達成する場合、本来はブレーキ一つで十分に制御できるような場面でも、アクセルの制御を行っているのです。

アクセルとブレーキを同時に使うような場面というのはあるのでしょうか。もちろん現実にはあります。サーキットでレーシングカーのドライバーは急なコーナーを走行する時にアクセルとブレーキを同時に踏んでコーナーを通過します。

優秀なドライバーはこのコーナーですぐ前の車の前に躍り出でしまうような抜き方を披露してくれることがあります。見事なテクニックです。このようなテクニックはアクセルのみ、またはブレーキのみでは実現できません。
レーシングカーの仕組み上の問題もない訳ではないのですが、つまり右足だけでアクセルとブレーキを制御する場合、アクセルかブレーキの上に足があることを想像しますが、現実にドライバーはアクセルとブレーキの上に右足を置いて制御しています。
そのような制御では、アクセルのみブレーキのみだけでなくアクセルとブレーキを同時に踏むようなこともやってのける訳です。つまり瞬時に判断してアクセルのみブレーキのみおよび同時にアクセルとブレーキを踏むことをやっているのです。
同じようなことは人の脳でも行われています。アクセルとブレーキを好きと嫌いに対象化してみると分かりやすいです。ある人に対する感情の一面として好き嫌いを見てみると、好きな人という一般的な傾向の中でも、好き嫌いは揺れ動いていることが分かります。

このような動作は実は危うい動作なのです。同時に同じ時間を共有していても、同じ空間に存在していても、疑心暗鬼に陥ってしまうことがあるからです。そのくらい脳はあまり信用は出来ないのです。
制御系はそのような意味では制御しやすいと考えていいでしょう。脳が感情的な行動を表出する時、現実にはいろいろな脳内物質が分泌されることになります。しかし、これら制御が脳の一つの統合的な処理を行う場合にも実はいろいろな脳内物質が同時に分泌されているのです。おおよそ分かっているもので12程度ですが、実際のその十倍程度の脳内物質が存在しているものと思われます。
このような人の感情は、丁度料理の時の味に相当します。そのように考えた方が分かりやすいでのす。たとえば調味料が脳内部質に相当すると考えます。砂糖・塩・醤油・味噌・トウガラシ・カレー粉・スパイス・・・化学調味料なども考えられます。

つまり人の感情の状況をこれらの調味料の合成の結果と考える方法です。もちろん評価の仕方は異なるものとなりますが、旨い・美味しい・まずい・美味しくない・・・・・などが、感情的なから始まって・・愛・回避・接近・喜・怒・哀・楽・・・から・・・・無感情までいろいろです。
一般には、感情的な人・無感情な人・怒りっぽい人・静かな人。居るのか居ないのか分からない人・元気な人・文句ばかり言っている人・つまりいろいろな人が居ると言うことです。
ところでこのような感情はいつも正常に表出されるとは限らないのです。車のエンジンがエンストするように感情も制御不能になってしまうことがあるのです。パニック症と言われるものもそれに相当します。
私も20代の後半27,8さんの頃にパニック症に悩まされたことがあります。この頃は脳が勝手に動き出して思考をなかなか停止できないのです。感覚的には脳はアクセルを踏んでいるのに自分ではブレーキをかけようとしているのです。

結果的にはエンスト状態になります。しかしエンジンは停止しません。ガタンガタンといった感じでパニックのまましばらくは何も出来ない状態が続きました。そんな時は水を飲んだり、大声を出したりしたくなるのですが、私の場合、声が出なくなりました。
声を無理やり出そうとするとしわがれた声になってしまったのです。当時この症状がパニック症のためのものとは知りませんでした。そのため病院に行くようなことも考えなかったのです。
ある時、会議の最中にパニック症が起きてしまいました。私の番になった時、声が出来ないのです。無理やり出そうとするとしわがれた変な声になってしまいます。この時は議長が素早く対応してくれて他の人に意見を振ってくれました。その後に落ちついた私を見て、再度意見を求められたのです。その時はチャント正常に振舞うことができました。その時に分かったのです。

私は今までパニック症から必死で逃れようとしていたのです。それがますますパニック症をひどくしていた様です。一旦その症状を受け入れようとしたら気持ちが少し落ち着くことが分かりました。そんな時の水は有効でした。すぐにパニック症がおさまったのです。
その後はパニック症の症状も治まり、32歳の頃にはすっかりなくなっていました。その頃になってパニック症にも前段症状があることが分かりました。私の場合は、喉が少し変になり、咳が少し出るのです。そんな時に水を飲んだり、場所や状況を変化させると不思議にパニック症の症状は出ませんでした。そのような対応が出来ない時にパニック症になっていることが分かったのです。この咳と心臓との関係については知人が教えてもらったことがあります。

心臓が不調な時、人は咳をして心臓の不調を解消する話です。咳ばらいもすこし関係があります。つまり咳は脳を通して心臓に直結しているようなところがあるようです。逆に考えれは心臓が不調な時、自分で咳をしてその不調を整えることが出来るということにもなります。(しかし、これは個人的なものかもしれません)
ここで脳が体の不調に対して何らかの信号を出していることが分かってきています。それは従来のように痛みで知らせるのではなく、全体的にものです。漢方薬の世界でも未病という言い方があります。未病とは、病気とは言い難いものの、病気になろうとしている、病気に近づいていることを知らせているのです。この段階での対応が出来れば病気の発生は抑えられます。これは予防という意味からも大事なことです。
体だけでなく何か変だと思ったら、それは脳が体のどこかの不調を知らせていると考えるべきでしょう。脳は自分でそのような知識を持っているのだと思います。私達はそのような脳の対応を素直に受け取っていい場合も多いのです。
