長崎空港を定刻に出発したANAの最終便は定刻どおりに羽田に着いた。ほとんど満席に近い状態であったが、快適なものでした。ビジネスマンが多く、旅行者は少なかったように感じた。
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羽田からモノレールで浜松町に向か、京浜東北線に乗った。まあまあの込み具合だった。
途中から車椅子の若い女の子が乗ってきた。私は丁度車椅子と反対側のドアの間に挟まれてしまった。私の両サイドには別の人が居たからである。
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車椅子の場合、本当は壁側に張り付いていた方が安全であるが、そうでなかったため彼女は車椅子の車輪をしっかりと握りしめていた。電車の揺れで車椅子が動いてしまうからである。

途中で私の左側の人が降りたので、私は左の方に移動し、彼女に「Back OK」言った。
彼女は私の方をチラッ向き、車椅子を出口と反対側のドアに密着させた。京浜東北線はほとんど片方のみが出入口になってしまう。これで車椅子が安定したので、彼女は車椅子用の専用手袋を外した。

しばらくこのような状態が続いた。途中で彼女は携帯電話を取り出し、ブログみたいなものを見ていた。それからiPODを取り出して音楽も聞き始めた。そして左右にあたまを揺らして寝込んでしまった。

私もドアを背にした立っていたものの、旅の疲れから立ったまま眠ってしまった。しばらくすると右側の腕のところに何か当たっている。良く見るとから彼女の頭が寄りかかってきた。私は鞄類を左側において立っていたので、車椅子に密着するような状態だった。ジャンバーの右手の付近に彼女の頭が何度も寄りかかってきた。電車の隣席で頭をよっかかれたことはあっても、車椅子の人に寄りかかられるのは初めてだったので少しビックリした。

私はその腕を動かすわけにもいかずに、そのまま彼女の頭を支えた。時々電車が発着するたびに彼女の頭は左へ右へと寄りかかった。右側は少しの隙間で人がいなく、彼女は変な角度で首を曲げていた。
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彼女の足はまだ普通の足のままだった。車椅子の人は運動量が少なくなるために、だんだんと足そのものが細くなってしまう。彼女は車椅子になってそんなに月日が経っていないのではと思われた。

ある駅からは私の腕のところで眠ってしまって反対側に頭がいきません。私はそのままの状態で居ることにした。それでも乗り換えの赤羽駅に着いた。彼女の頭を支えていた手をゆっくりと外して、降りることにした。私の手がすばれた瞬間、彼女は眼を覚まし、照れたような顔をした。

可愛い感じの女の子でした。年齢は24,5歳と思う。体育会系を思わせる体つきでしっかりとした表情だった。私は電車から降りて彼女の方を見たが、彼女は所在のない頭を左右に動かしていた。
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乗り換えた電車で、車椅子の女の子から頭を寄りかかられたことを考えた。吊革につかまっている手を何度も掴まれた経験があり、これもそのようなものかなと思った。でも人に聞いてみるとそのような経験は少ないか、ほとんどが全くないという。歩いていても道案内を頼まれることも多い。なぜか分からない。

私は例えばアッシー君みたいなものなんだろうかと思った。でもまんざら悪い気持ちはしなかった。
それよりも、彼女が早く車椅子から逃れられるような時代が来ることを願った。脳科学研究では脳脊髄の損傷を治療する方法が最近になって進んでいるからである。
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私の感じでは、10年もせずにそのような治療が可能になると思う。実験的な治療では高い確率で回復しているからである。もちろんリハビリは必要である。施術とリハビリで数年以内に元の機能の7~9割程度は回復できると考えられている。KS細胞みたいな特別な細胞を神経の遮断域に移植することによって神経経路が繋がると考えられている。彼女もそんな恩恵を早く受けられるようになればイイナーと思った。

最近私は、夢を見れる人になりたいと思うようになった。こんな年で私が思うのであれば、若い人はもっとそうあるべきかもしれない。夢を見れる人には変な限界がない。無鉄砲とも見えるが、限界のないところから新しい発見や発想が生まれている。

特に為政者や教師や医者は夢を見れる人であった欲しいと思う。道路(高速)を作る。箱もの(建築物)をつくるだけでが政治家でないはず。夢を見れない人が政治家になっているからであると私は思う。

あの車椅子の彼女は何故か大丈夫なように感じた。時には、遠慮しないこと、甘えることも大事かもしれないと思ったからである。