アッシェンバッハは北浦和の駅の近く北浦和公園を望むところあったカフェです。3年ほど前の夏にお店を閉じてしまいました。私のとっては思い出の深いカフェでした。

7年ほど前にオープンして、私がこのお店を知ったのはその一年後でした。

土日のサイクリングの時に立ち寄りチョッとだけ休憩するだけのカフェでしたが、時々は店内に置いてあった雑誌などに読みふけってしまうこともありました。

内装がデザイン的にすばらしく、白系の雰囲気ながら、落ち着きのある空間を演出していました。エントランスの左側には常でアクセサリー関係の小物が展示、販売もされていました。

私も時々このブースの品物を見て、絵葉書・オリジナルの封筒などを買い求めました。またある時は若い製作者の作品が提示・即売され、多くのフアンが訪れていました。

このカフェの特徴は、広い空間にテーブルと椅子がゆったりと配置されていました。一人で来ても大丈夫なようなエリアもあり、大人数のグループにも対応できるようなテーブルと椅子が用意されていました。

なんといっても圧巻は映画「ベニスに死す」のかなり大きなポスターがこの空間の壁に配置されていたことでした。このポスターのフアンも多かったようです。

コーヒー、サンドイッチ、バレンシアオレンジ、・・・・・普通の喫茶店とは異なるメニューであったことを後から気づきました。オーナーのこのカフェに対する感性豊かなコンセプトを感じました。

夏の暑い日にはこの冷たいバレンシアオレンジのジュースは特においしかったことを覚えています。サンドイッチは土日にかみさんと一緒に来て食べました。家から20分程度の散歩で到達できる場所でしたので、都合が良かったのです。

普通にはあまり見られないステレオ装置、多分色合いやデザインから選ばれたものと思いますが、音もまあまあの響きがありました。ただし音量は絞られBGMにしては音が小さかったように思います。

このカフェのもうひとつ特徴は不思議なもの静かな女主人でしょう。部屋の内装から、さりげなく置いている小物、テーブルに椅子にいたるまで統一したコンセプトで形成されていたのです。

女主人はあまりしゃべらない人でした。それでもお客さんの中には女主人を捕まえて強引に長時間お話する人もいました。そんな時も嫌な顔ひとつもせずに静かな物腰で対応していました。

このお店のとても不思議な統一感は、アッシェンバッハという名前から、「ベニスに死す」のポスターから、アクセサリー小物の展示ブースから何一つ違和感のあるものがなかったことから達成されていました。

だから、このお店に来ると不思議な安堵感がありました。私はサイクリングの途中であることから、10分程度滞在してコーヒーを楽しむことが多かったように思います。

私は通っていた4年間はほとんど話しをすることはありませんでした。時々かみさんとお昼のサンドイッチとコーヒーを食べにきた時にかみさんが少し話す程度でした。

桜の花が舞い散る時期に、ある日突然に女主人から話しかけられました。「今年の夏にお店を閉じることになりました。長い間ありがとうございました」私はただ「それは残念ですね」と言い返すのがいっぱいでした。

女主人のほかに若い女の子が一人手伝っていました。いつものその女の子がコーヒーを運んでくれていましたが、その後は女主人自らがコーヒーを運んでくれることが多くなりました。

ある日アッシェンバッハでくつろいでいる時になぜこのお店が気に入っているんだろうと考えていました。カフェ内の雰囲気、北浦和公園を見渡せる場所、おいしいコーヒー、「ベニスに死す」のポスター、・・・・そして物静かな女主人がいることが原因なんだろうと、漠然と思いました。

三十代の女主人は優しさと笑顔に溢れていた人でした。それがいつもどんな時間でも私の期待を裏切らない安定感を持っていました。喜怒哀楽の中で怒を感じたことがまったくなかったのです。

サイクリングの途中で雨に会い、アッシェンバッハに身を寄せた時、私一人がお客でしばらく誰も来ませんでした。私は雑誌を読んでいましたが、ふと女主人を見ると公園の青々とした緑の木々を眺めて少し哀愁に満ちた表情を見た時に、疑問の答えが分かったように思いました。

そう、もうアッシェンバッハがなくなってしまってから3年も経とうとしているのに、ある日突然のようにカフェ・アッシェンバッハが蘇り、店内でコーヒーを飲んでいる自分が鮮明に意識されるのです。

なくなってしまってから後悔することといえば、私にはこれしかないかなと思っています。

現在、代わりのお店は大宮の氷川神社の参道のBIS?というカフェです。

カフェひとつでも人生を豊かにしてくれる出会いがあるんだなと思うようになりました。