今日の午前中は、東京都庭園美術館で開催されている「舟越桂 夏の邸宅 アール・デコ空間と彫刻、ドローイング、版画」を見に行ってきました。

目黒の駅から7分程度で東京都庭園美術館のある緑の森が見えてきます。今日は小雨で森も濃い緑色となっています。入場すると喧騒の世界から急に静かで穏やかなエリアに侵入してしまったような感覚になります。

入場ゲートからすぐに邸宅は見えません。しばらく歩くと少しずつ邸宅の白い外壁の部分が確認できます。薄暗い広い誘導路は気持ちを整理するための緩衝材のようなものなんでしょう。丁度外国映画に出てくる大きな邸宅の場面と同じあることが気持ちをワクワクさせてくれます。




一瞬、小雨で良かったのかも・・・と思い始めていました。邸宅を目の前して、何か途方もなく忘れていたものが甦ってきたような感覚を味わいました。たった一人で邸宅の前に到着しました。中に入るとそこには既に多くの人が参観していました。



最初に目に入る彫刻に、既に舟越桂の序奏が始まっていることを感じました。今までに会ったことのない異質な感覚なのです。誰でもなく、比較しようもなく、過去にも存在しないような彫刻なのです。木という存在すら忘れてしまうような幻覚の世界に入り込んだのではと思ってしまいました。長い首、豊かな乳房、両性具有のその存在はやはり格別の存在でした。

直角の位置にあるドローイングは明らかにこの彫刻の形成の過程を示していました。しかし、strandの先にあるこの彫刻にたどり着くにはやはり誰しもが多くの時間と思考を要求されることになるでしょう。

多くの作品には多くのドローイングが用意されていました。しかしどの作品にも生気が感じられないのです。なぜ・・・今までに見てきた彫刻には明らかに生気を感じるものがあった。私にはその感性が存在していないのではと心配になるほどなのです。

「戦争をみるスフィンクス」のための習作に来てやっと、作者舟越桂の意図が見えてきました。私にはこれらの彫刻が作者舟越桂の使者であるように思えたのです。ピノッキオ習作に来て、生気の逆転がはかられていることを知りました。

ピッノッキオの作品はなるべく見ないように努力しました。物語と異なり、明らかに人に近づけさせないとする作者の意図が強く感じたからです。見て回っているうちに生気を見つけようとしている自分がいることをおかしく思ってしまいました。

そして男性と女性でこの作品の感じ方がかなり異なるのでは思ってしまいました。女性の方が冷静に作品を見ていたからです。男性はどことなく落ち着きがなく、不安な様子が伺えました。

作品の中に美しい女性の顔が存在していました。その顔は実在の人とそっくりではないのかなと思ってしまいましたが3人存在しているのです。顔ニューロンの形成が出来ていない私だけが感じるディテールの証かもしれません。

邸宅のアール・デコは明らかに作品と対照的です。直線の建築物が見せる理路整然とした空間に確実に舟越桂の作品は存在するものの、その意味を解こうとすると脳の中の彫刻に雲がかかってしまい、よく見えないのです。

今一度アール・デコの直線を強くイメージすると不思議と彫刻の主張しているものが見えてきます。不思議な世界です。終わりに近づきながら、「もっとここに居たい」という感覚と「ここから早く出て、誰かにお話したい」という気持ちが交差しているのです。



やっと邸宅の窓から庭園の方を眺め落ち着きを取り戻したら、この夏の邸宅の呪縛から逃れることが出来ました。
このイベントはあるブロッガーの方の紹介で知りました。感謝申し上げます。