キキにあのウサギと話す機会がやっとやって来た

しばらく野原の雰囲気を味わった後で、キキはあのウサギのところに近づいた。キキはしばらくウサギの様子を見てみようと思ったからである。でもすぐに会話は始まった。

キキ、私に何か聞きたいことがあるんでしょう。何でもいいからという訳にはいかないけれど私の知ってることなら答えることができると思うよ。キキはウサギの突然の声にしばらく返事ができなかったが、気を取り直して、「ウサギなのになんで話ができるのですか?」
それは簡単なことだよ、つまりこの私はウサギでも話ができるというだけのことだよ。キキはやや訝しげにウサギを見た。

キキはインコやカラスが人の声などを真似するのを知っているだろう。でもあのインコやカラスは音を真似ているだけで、言葉の中身までは考えていない。でも人間の側はあの鳥であるインコがしゃべると言うので、びっくりしてしまい、意味まで知って反応していると思い込んでしまうんだよ。でも一概にそれだけでもないんだよ。飼い主の状況を見て飼い主が望む行動をしてくれる鳥もいるんだよ。そこに鳥を飼うという意味がうまれるんだよ。これはちょっと難しいけど後で分かってくると思うよ。

ではウサギさんはどうして言葉を喋ることができるし、意味も理解できるのですか?・・・まあ、それにはちょっとした訳があるんだよ。そのことについては時間のある時に少しづつ話をしようと思っている。長い話で、時間のある時に一気に話をした方がよいと思う。

では、どうして私は時々この野原に来るの?
それはキキがそれを望んでいるからだよ。でも私はそんなことは希望したこともないし、誰かに頼んだこともないよ。それに自分でここに来たいと思っても出来ないよ。それでも私が望んでいると言うの?そうだよ、キキはここに来ることを望んでもいるし何かの期待もしているんだよ。キキ「そうなのかなー?」

人には心というものであるだろう。その心と現実の行動というものがあり、人はその二つの気持ちを持っているとも考えることができるんだよ。たとえば好きな人に会ったとしても好きとすぐには言わないだろう。その人がどんな人かを見てからでも遅くないからね。しかし、長く付き合っていてもなかなか好きと言えない人もいるんだよ。

つまり心で思っていることと現実の行動は一致することもあるが、ほとんどが一致しないことも多いんだよ。そのことが人間関係を複雑にしているとも言えるんだが・・そういう意味では人間はおかしな動物と言うことができる。
さて本題に戻そう。キキがここに来たいと思っていると言ったね。それはキキの潜在意識がそのようにさせているんだよ。でもその潜在意識はキキもなかなか認識出来ないものなんだよ。だからキキから見ると思ってもいないことになってしまう。ジャーどうしたらその潜在意識は分かるのかというと、それは勉強や努力も必要だし、感性も重要なんだよ。

「その感性と言うのは何?」、キキは何度か聞いたことのあるその言葉に反応した。そう、感性は感じる能力であり、性質でもあるといえるんだよ。反対に近い言葉として鈍感というのがある。鈍感の反対は敏感なんだけど、この感性はこの敏感に関係があるんだよ。

へー、そうなんだー・・・・
しかし、感性と敏感はことばも違うし、意味も異なる。でも近いんだよ・・・・
このことはまた後で話そう。キキは頷いた。

キキはウサギと話したという感じはしなかったが、でも心地よかった。

(つづく)