先日、義兄が亡くなった。
81歳ということから、まだ早いのではと姉に聞いたが、最近は食も細くなり、あまり外出もしなくなっていたと話してくれた。それでも去年の年末には一人で旅行に出かけるほど元気だったようである。
告別式では、遠方からわざわざお寺の住職が式のために来てくれていた。春分の頃であったことから、本来は一番忙しい時ではないかと思ったものの、泊まりで駆けつけてくれたのである。住職の父と義兄が親しかったらしく、住職は義兄の長男と同じ歳であるとのことだった。
そして式の最後に住職から思わぬ言葉が出てみんなが驚いた。
義兄は、72歳の頃既に、死を予感し、今後の自分の生き方について、住職に手紙で書き綴っていたとのことだった。家族のことはもちろんではあるが、自分が病に倒れた場合、医者にかかって治療するなどの行為はしたくないというもので、姉の話からもそれを実行していたことが分かった。
この間、病院は一度も行かず、風邪などの病気でも医者に見てもらうようにことはなかったとのことだった。今回も救急車で病院に運ばれ、一週間で他界することになった。姉は初めて看病らしいことをしたいと思ったが、絶対安静で、それも出来なかったと話していた。
義兄は、兄弟が少なくも近くに居る弟とも余り交流がなく、もっぱら姉の兄弟との交流が多かった。我々兄弟姉妹は男3人、女4人で、妹は早くに亡くなったが、こんなに多くの兄弟姉妹でも仲良くやっていけることに関心していた。
子供たちが小さい頃は、夏休みに五島の実家に子供たちを含めて15名も集まり、泳ぎ、魚釣り、祭りなどを楽しんだ。その時の義兄は心から楽しんでいた。お酒が好きで、飲み癖は良かったことを覚えている。暴れるようなことは全く無かった。
告別式の後、姉は義兄が退職してから優しくなり、束縛することもなく自由に暮らすことが出来たと話していた。そういえばよく海外へも出かけていたし、習い事もいろいろとしていた。
死も義兄の生き様ということが出来るのではと思った。
亡くなる前に家内と見舞いに行った時は、やせ衰えて昔の姿は無かったものの、我々の手をしっかりと胸に当ててくれた。帰る時、又来ますとは言ったもののそれが最後となった。
81歳ということから、まだ早いのではと姉に聞いたが、最近は食も細くなり、あまり外出もしなくなっていたと話してくれた。それでも去年の年末には一人で旅行に出かけるほど元気だったようである。
告別式では、遠方からわざわざお寺の住職が式のために来てくれていた。春分の頃であったことから、本来は一番忙しい時ではないかと思ったものの、泊まりで駆けつけてくれたのである。住職の父と義兄が親しかったらしく、住職は義兄の長男と同じ歳であるとのことだった。
そして式の最後に住職から思わぬ言葉が出てみんなが驚いた。
義兄は、72歳の頃既に、死を予感し、今後の自分の生き方について、住職に手紙で書き綴っていたとのことだった。家族のことはもちろんではあるが、自分が病に倒れた場合、医者にかかって治療するなどの行為はしたくないというもので、姉の話からもそれを実行していたことが分かった。
この間、病院は一度も行かず、風邪などの病気でも医者に見てもらうようにことはなかったとのことだった。今回も救急車で病院に運ばれ、一週間で他界することになった。姉は初めて看病らしいことをしたいと思ったが、絶対安静で、それも出来なかったと話していた。
義兄は、兄弟が少なくも近くに居る弟とも余り交流がなく、もっぱら姉の兄弟との交流が多かった。我々兄弟姉妹は男3人、女4人で、妹は早くに亡くなったが、こんなに多くの兄弟姉妹でも仲良くやっていけることに関心していた。
子供たちが小さい頃は、夏休みに五島の実家に子供たちを含めて15名も集まり、泳ぎ、魚釣り、祭りなどを楽しんだ。その時の義兄は心から楽しんでいた。お酒が好きで、飲み癖は良かったことを覚えている。暴れるようなことは全く無かった。
告別式の後、姉は義兄が退職してから優しくなり、束縛することもなく自由に暮らすことが出来たと話していた。そういえばよく海外へも出かけていたし、習い事もいろいろとしていた。
死も義兄の生き様ということが出来るのではと思った。
亡くなる前に家内と見舞いに行った時は、やせ衰えて昔の姿は無かったものの、我々の手をしっかりと胸に当ててくれた。帰る時、又来ますとは言ったもののそれが最後となった。
