気温が安定してきた今日この頃。
でも、10月に入っても部屋の中ではTシャツでいられるというのはどう言ったもんか。
もっとひんやりするものだろう、秋という季節は。


まあいい。
季節感が情緒を育んだ、というのが日本文化を語るときの紋切型になっているのがデフォだと仮定して話をだらだらと一人語りさせていただく。

秋来ぬと目にはさやかに見えねども ~
っていう和歌の古典中の古典。だが、この一首をもって和歌には繊細な感性がある、とか言っちゃうのも、けっこう大雑把な文化の捉え方だと思うんだな。
まあ、あんまり突っ込まれたら知らん。僕は和歌なんてほとんど諳んじることもできない門外漢だし。
ただ、先にひいた和歌にしても、ある程度の世界観の表明であると捉えることは可能だろうし、1000年以上も前のこの和歌が書かれていた当時の文字がほぼ変化せず流通している、というのは事実だし(ま、筆で書かれた当時の字なんて、全く読めんのだが私は)、語彙としても「秋」や「目」などが現在もしっかり流通している、どころかむしろ自分の視覚の感覚器官として顔の前面中央のやや上部についている器官を「目」と呼ばない人なんて「日本語話者」にはいないのではないだろうか。
「め」「はな」「くち」
あんまりにもシンプルな音節で表現することができている。
日本語のかなは文字イコール発音記号、かつ表意文字でもあるという指摘をもって日本語、日本語文字最強論っていうのももっともなものだと捉えることができる、というのも、ま、ありっちゃあ、ありなんだが。AAの類いだって、かな文字の発展であるディスプレイに表示されるフォント文字と漫画の巧妙な共犯ともいえるわけで。