こんばんは、営業畑出身の茨木です。
今は営業とは程遠い仕事をしてますが、
ほんの4年ほど営業の仕事をしていたことがあったのが
いい経験になっていると思うことがたびたびありますね。
大卒のときに、いきなり営業に配属されるなんていうのは
なんとなく納得がいかず就職活動に難儀したとか、
ちょっといい感じに関係が作れたクライアントのところに、
アポイントなしで「近くまで来たから」というので寄ってみたら激怒された、とか、
ちょっと営業先に楽しく話せる人が出来た、とか
そんな経験を積んできた、っていうのはいいことだったなぁ、
という感慨にふけるようなできごとが今日あったんです。
細かいことは、まあ職務に関することなので、まぁおいといて、
同僚のプレゼン練習を聞く機会があったんですよ。
スポンサーを呼んでの説明会なので、
基本的には「お金を出してほしい」というのが最終目的。
だけど、それをストレートに言い表さずに、
業界全体の傾向やこちらのサービスやシステムなんかを
説明するわけじゃないですか。
その「お金を出してほしい」というところに話を落としていくのは、
「恐怖仮説」でも「効用を説く」形でもいいわけで。
で、当然落とすところは落とす、
というクロージングの要素が入り、そこでジ・エンド。
で、きょう同僚のプレゼン練習を見ていたわけですが、
それがまあ、つまらない。ええ実につまらない。
学会発表だったら少なからず知らないことを知れるからいいけれど、
同僚同士だから、基本的に知識の多寡はあれど、
知っていることに本質的な差はないわけで。
同僚はその枝葉末節な知識とやらを
まぁメモばかり見ながら「えー」だの「んー」だの、
実に気持ち悪い音声を発しながら語る語る語る。
うげぇ思い出しただけで夢に出そうだ。
で、話全体が基本的に「恐怖仮説」で進んでいるので、
それが聞いていて、また気分が悪い。
「こんなに危険な状態になってる」とか、そういう感じで。
もうちょっと出資者の感情にたって話せばいいのに…
上司も上司で、「もっとはっきり『カネをだしてください』と最初っから言ったらいい」とか言い出して、
茨木が「こういう言い方はどうか」と口を挟んだところ、
「わが社のスタンスはもっと理解してもらった方がいいから」とか、
なんか残念な意見を言っていた。
と思った時、ふと自分のスタンスが分かったんですよ。
茨木は、感情に左右されやすいタイプだなぁ、と。
「感情に左右される」というのは、自分が働きかける相手の方の感情です。
こう話した方が伝わりやすい、とか、
恐怖仮説を並べていくよりか、
「こうやったほうがいいよ」というように
相手の感情を動かしていった方が、
最終的に自分の意図どおりになるのになぁ、という感じ。
というより、自分の意図している方向に話を進める、
という風に考えると、一方的にわれわれが知っている数字を並べても、
数字にどういう意味があるのか、というのは、
クライアントやスポンサーには分からないわけですよね。
それをちょっと分かりやすい表現なんかを用いて相手に伝えていく、
そこで相手の感情を動かすわけですよ。
そうした方が、話が上手くまとまりやすいですね。
プレゼンで「話をまとめる」というのは、
けっきょくは、相手が納得するかどうか、なんですよね。
数字の羅列をすることとか、もしくは恐怖仮説をえんえんと語ることでもなく、
競合他社の悪口をいうことでも、論理的に構成することでも、もちろんなく。
で、相手が納得したら
商談もうまく「まとまる」=クローズする、というわけ。
だと思ったしだいであるのです。