キム・ヨナの7分ドラマ | キム・ヨナの記録と功績

キム・ヨナの7分ドラマ


キム・ヨナの記録と功績

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キム・ヨナの7分ドラマ-二十才キム・ヨナ,その情熱と挑戦の記録-     
                                    
2分50秒のショットと4分10秒のフリー                   
世の中を感動させた眩しい7分の舞台裏に隠れたキム・ヨナのもっと眩しい人生の物語

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①中古のスケート靴に足首を鍛えられた

満で5歳のとき、両親・姉とともに果川(クァチョン)の室内スケートリンクを訪ねた私は、初めてスケート靴を履いた。初めて氷上に踏み出すやいなや滑り、転ぶのを恐れる気持ちから胸がドキドキした。震える気持ちが徐々に消えると、スケートリンクは新世界となった。

初めてフィギュアスケートに接したあの夏、母は休みに、果川のアイスリンクでフィギュアスケートの特別レッスンを受けさせてくれた。短い講習期間から大半の子どもがスケート靴をレンタルしていたが、私はマイスケート靴を持っていた。黄色いひものついた真っ赤なスケート靴。おばが、近所の人が捨てようとしたものが、私の足のサイズに合うといって、持ってきてくれたものだった。

私の初めてのスケート靴は紙のように薄く柔らかいため、ただ足を包むだけのものにすぎなかった。選手向けのスケート靴は足首を保護するため固く作られている。おかげで足が痛むことはないが、靴が足首を支えることができず、ひたすら自分の足の力で耐えながら滑らなければならなかった。母は時々、最初の薄いスケート靴が私をいち早く優秀な選手に鍛えあげてくれたのだと冗談交じりで話す。

②「ヨナをサポートできる状況ですか」

「ヨナはあんよも早かったけど、スケートもうまいね」。私は生後8カ月から歩けるようになった。通常、赤ん坊は1歳になるころ歩き始めるという。時々親類が集まると、当時から私の運動神経が抜群だったと楽しげに話すこともある。フィギュアスケートの特別レッスンが終わると、母は姉と私を再びマスタークラスに登録してくれた。

マスタークラスが終わるころ、私を教えたリュ・ジョンヒョンコーチが突然母に相談を持ちかけた。「ヨナには才能がある」。そしてコーチは次のように話した。「フィギュアスケートはお金がたくさんかかるスポーツだが、サポートできる状況か」。母はやむなく決定を下した。姉はマスタークラスを最後にフィギュアスケートをやめ、私は本格的に選手としての道を歩むため個人レッスンを受けはじめた。

③アラジンとミシェル・クワン、私の夢の始まり

「スケーター」という存在が初めて心の中に入ってきた日は小学校1年のとき、アイスショー「アラジン」を見た日だ。華麗なコスチュームと優雅な振り付け、美しい音楽など目を釘付けにした素晴らしい風景だった。その動作の一つひとつを目で追っていたため、内容は全然覚えていない。

私がフィギュア選手の道を歩むことを決めた翌年の1998年、長野冬季五輪が開催された。私はそのとき、私の夢を見つけた。銀メダルを獲得したミシェル・クワン。漠然とスケート選手になりたいと考えていた私に、格好のモデルができたのだ。当時、私が最も楽しんだ遊びは「冬季五輪ごっこ」だった。各自が好きな選手になってフィギュアスケートの試合に出る遊びだ。私は常に「ミシェル・クワン」役を演じ、振り付けや表情をまねたりした。

④私にも思春期…何よりもさみしかった

小学校6年、私にも思春期がやってきた。朝起きるやいなや練習の準備、休憩の後に練習、そしてまたも練習。「運動するロボット」になったかのようだった。狂ってしまうのではと思うときもあり、何よりもさみしかった。思春期のころに考えるようになる死について時々考えてみたが、それはただの単語にすぎなかった。率直にいって、怖くて死ぬのなんて嫌だった。私は生きたい。

そうしている間にとうとう問題が発生した。初の負傷。03年2月の冬季国体を控えて、無理な練習から足首の靭帯を痛めてしまった。歩行も厳しいほどの痛みに「スケートをやめたい」と思った。しかも当時は国際金融危機で父の会社の経営が悪化し、それ以上スケートを続けにくい状況でもあった。当時、私を指導してくれたキム・セヨルコーチはびっくりして「国体だけでも出場すべき」と勧めた。

最後といわれ、気軽に臨んだせいだろうか。自分ですら信じられない全5種類のジャンプとトリプルアクセルを完璧にこなした後、トップを達成した。これで終わりなのか。スケートを滑らなくなれば、うれしいことばかりだろうと思っていたのに…。

⑤ニックネーム「大人輩の金先生」について。

「銀盤の妖精」「フィギュアの女王」などと言ったニックネームは女性選手らに頻繁につけられる。ところが、「大人輩の金先生(キムスンセン)」(「大人輩」は、度量や品性に欠けている人という意味の「小人輩」の反対語。「キムスンセン」は、ネットで使われる言葉)というニックネームは、私が試合に臨む際、良くない結果でも淡々と受け入れる姿を見て(ファンらが)付けてくれたもの。性格を見て付けてくれたニックネームだからうれしいし、愛着がある。実は自分で考えても単純な性格で複雑に思い込まない方だ。通常、O型は楽天的かつ単純といわれるが、私がちょうどそんなタイプ。そうした性格が選手生活にもプラスになった。常に「過去は過去であるのみ。また頑張ればいい」という考え方だ。

⑥最も欲しいものは。

時々、誕生日やクリスマスに「欲しいもの」を尋ねられると、冗談交じりで“自由”と言うことがある。1日だけでも私のことを誰も知らない所に行きたい。そうすれば、他人の視線を気にせず自分のやりたいことをすることができるから。顔が知られてからは、どこに行っても必ず隅の席、よく目立たない所に座ろうとしている。「罪があるわけでもないのに、なぜこんなことをしなければいけないの」と思うこともある。

⑦自分だけの化粧法。

どうしても「Tゾーン」が気になる。頻繁にニキビもできるし。額や鼻にも吹き出物が多い。最近は吹き出物などがやや減ったが、時々ニキビができても特にケアすることはない。普段は化粧水、ローションなどベースメーキャップだけで済ませている。練習やインタビューのときも完全に“すっぴん”ではない。目のクマもあり、完全なすっぴんは母にしか見せられない(笑)。ジュニアのころから試合では自分で化粧するが、目はいちばん誠意を込めて化粧するところ。演じる際、審判や観客は顔の中でも目を見る。二重がなく、腫れているように見えるから、最大限目を大きく見せるのが私の目標だ。今季ショートプログラム(SP)で塗ったマニキュアは濃いブルーだった。試合に行く前に荷物をまとめる際、探してみたら濃いブルーがあったから持っていった。映画「007」シリーズのジェームズ・ボンドのテーマ曲ではピストルを撃つなど、手の動作が多いが、手袋もなく素手だから黒っぽいマニキュアはどうだろうかと思った。ホテルの部屋で塗り、手を動かしてみたら、気に入った。

⑧好きな食べ物。

食べられないものを尋ねた方がより早いだろう。食べ物は何でも好き。食べられないわけではないけど、苦手なのがニンジンとセロリ。セロリは料理にほんの少しだけ入っても、漢方薬のようなにおいがしてとても嫌い。そして臭いにおいがある食べ物。魚はいいけど、カキは嫌い。いったいどこがおいしいのかわからない。特に好きなのはパン。「パンとご飯、どっちを食べる?」と尋ねられたらパンを選ぶ(笑)。食べたいのにたくさん食べられないから。通常、試合の場合、日本から始まって欧州の非常に小さな国まで訪ねることになるが、私は好き嫌いがほとんどなく、食べ物で苦労したことは一回もなかった。

⑨理想のタイプは。

身長は私より高ければいい(笑)。強がりすぎる男にはひかれない。「私は男だから、こうであるべき」という考え方の男性よりは、苦しいことがあれば私に頼ることもできる男性がいいと思う。このところ、新しい人との出会いには苦手でもあるし、怖い気もする。私が「キム・ヨナ」だから好感を示すのではと思うこともある。だから、誰かに新しい人を紹介してもらうよりは、友達として長い間親しい仲を維持し、徐々に好きになるという方がよさそうだ。

⑩優雅なボディラインの秘訣は。

「特に献立を調整することはない。朝食は韓国料理にしている。キムチチゲ・テンジャンチゲなども好きで、ご飯も一杯全部ではないが、結構食べる方だ。昼食は練習の途中で食べるので、スケートクラブの食堂で済ませている。サラダや果物・豆乳・パンなどをお腹いっぱいになるまで食べる。水分が多い食べ物なので、訓練中にお腹が空くことはない。夕食は、帰宅して、私はコーンフレークと果物を食べ、母は別のものを食べる。母がおいしいものを食べていると、一口もらうこともある(笑)。おやつは幼いころ以来、長い間食べていない。食べたいけど(太るのを恐れて)食べられない。飲み物はお水か豆乳をたくさん飲む」。

⑪歌が好きだそうだが。

「推測とは異なり、クラシックではなく歌謡曲が好き。クラシックを聴けば眠くなる。一時ポップスも聞いたが、英語の実力が伸びたとはいうものの、歌詞がきちんと伝わらないから、やはり歌謡を聴いてしまう。好きな歌手、曲は常に変わる。古い曲から最新の曲まで全部聴いている」。

⑫自分で考える自分の魅力と短所は。

「私は自分の性格が好き。自分に惚れているのかも(笑)。とにかく私は自分のことが好き。自分の考え方や方向が間違っているとは思わない。こうした性格が運動にはプラスになる。短所は時々かっとなること。若干血の気の多いタイプで率直な方だから、それが状況次第では良くないときもあるようだ。時々突然腹を立てた後、開き直ることもある。そうした点がやや短所に思えるが、すぐに直るから長所でもある(笑)。

⑬世界一になれた秘訣は。

「努力と生まれつきの才能が半分ずつだと思う。選手は皆、全力投球する。ところが、似たような努力をしてもできる人がいて、できない人がいるのを見ていると、才能を完全には無視できないようだ」。

⑭新しいものを習うとしたら。

「自由な時間がたくさん与えられ言語を学ぶことができるとしたら、日本語を一度学んでみたい。また、スポーツ心理学も勉強してみたい。最近心理相談を受けたが、非常におもしろかった。選手生活をしたから、その経験が役立ちそうだ」。

⑮オリンピックの後、やりたいことは。

「オリンピックでどんな結果を得ようが、オリンピック以降の私の人生が非常に期待できる。また、今後の1~2年間はできそうもないが、旅行をしたい。欧州も旅行したいが、米ニューヨークも行ってみたい。日本も試合ではたくさん訪れたが、きちんと見ることができなかったので、もう一度行ってみたい」。

⑯選手生活以外の夢は。

「自分にいちばんできるものもフィギュアスケートで、今後ずっとやりたいのもフィギュア。選手でもコーチでも、ずっとこの分野の仕事を続けたい。世界の各国を回り、ショーや公演もたくさんしたいと思っている。より年を取れば指導者の道を歩むこともできると思うし、フィギュアスケートの世界に残りたいというのが私の願いだ」。

⑰ファンに一言。

「私がどんな失敗をしてもどんな結果を得ても、常に変わらず見守ってくれて本当にありがたい。今後も頑張って素晴らしい姿で報いたい!」

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「キム・ヨナの7分ドラマ」の見どころ

①“私はまだ完成されなかった!”

選手として成功したといって人生で成功したと話すことはできない。だが明らかなのは私はまだ二十才で,今後残った人生がさらに長いということだ。私には今の席が人生成功へ行く初めての出発点がよいはずであるのに,したいことも成し遂げたいこともまだ多い。私は成功したスポーツ スターでなく,絶えず成長する人で記憶されたい。夢のために最善を尽くして走って行く立派な選手,努力する人間‘キム・ヨナ’で記憶されたい。

②キム・ヨナの文中で

世界最上に立った二十才のフィギュア スケーターキム・ヨナ. 彼女が話す‘キム・ヨナの人生’にはどのような話が含まれているだろうか。 フィギュア スケート靴を履いて13年. フィギュア不毛地韓国でキム・ヨナはそれ自体で途方もない事件だった。 キム・ヨナが競技でジャンプを走る時,胸ドキドキしなかった人がどこにいるだろうか? 彼女が授賞台の上で涙を流す時,多分大部分の国民は共に涙を流しただろう。

2分50秒のショート プログラムと4分10秒のフリースケーティング,そのまぶしい7分のために13年の間一日8時間以上の訓練を耐えてきたキム・ヨナの舞台の後の話. この本はキム・ヨナが伝える‘夢と成長のメッセージ’を含んでいる。 あきらめたい時ごとに‘もう一度’と叫んでまた立ち上がって,頂上ですら新しい目標を設定する情熱と挑戦本能が彼女の今日をあるようにした。 ‘フィギュア クイーン’という修飾語は未完の自身を愛して,明日に向かって休むということなしで跳ね上がった夢と努力の代価であろう。

もうキム・ヨナは‘世界最高のスケーター’を越えて‘自身がすることを楽しむことができる幸せなスケーター’に進化している。 キム・ヨナの率直淡泊な話は夢に向かって一歩ずつ進む私たちの時代成長の役割モデルになってくれるだろう。

③世の中を感動させたまぶしい舞台の後,キム・ヨナの本当の話

キム・ヨナがフィギュア スケート選手で生きてきた13年の余情(旅行日程)と今後の 希望を率直で淡々と打ち明ける。 彼女は毎晩訓練を終えた後日記を書くように自身の記録らを整理した。 7才初めてスケート靴を履いた時から小学生時期トリプル5種ジャンプを消化するまで,反復される訓練と時々訪ねてくる力に余った負傷を克服して毎度世界新記録を更新してフィギュア クイーンにそびえ立つまでのお話がキム・ヨナ特有の語り口と溌刺とすることで生き生きと描かれる。 大韓民国を越えて世界を魅惑させたスケーターキム・ヨナ. そのカリスマあふれる舞台の後に隠されたキム・ヨナの率直で時には胸ジーンとしたお話に会って見ることができる。

④率直溌剌堂々,キム・ヨナだけの独特の話法

舞台の後キム・ヨナは初めには人見知りするが親しい人には意地悪ないたずらをするのが好きで,リンク場が離れるほど力強く笑って,ぺちゃくちゃおしゃべりするのが好きで,インターネット検索を楽しむ溌刺とした二十才だ。 彼女だけの肯定的で整った性格と溌刺とした姿が本のあちこちに含まれている。 苦痛の中でも希望を探して,恐れと失敗さえもさっさと振り払ってしまい明るい顔にまた立ち上がる‘人柄はいいキム先生’,彼女は話法もまたしっかりしている。

⑤シーズン別プログラム,そのビハインド ストーリー

キム・ヨナを世の中に知らせた「ロクサーヌのタンゴ」と「あげひばり」,彼女を世界チャンピオンで作った「死の舞踏」と「シェヘラザード」,夢のオリンピックに挑戦する「映画007主題曲」と「ジョージ・ガーシュウィンのピアノ協奏曲F長調」。私たちの胸に感動に伝えられたこのプログラムらはどのように誕生したのだろうか?シーズン別に音楽を選別して振りつけとプログラムを構成する過程が含まれていて,これを調べる面白味もかなりよい。本を読んでキム・ヨナの競技をまた見るならば感動が倍加されるだろう。

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キム・ヨナの7分ドラマ(この本は韓国語で書いてあります)
発刊日:2010.01.29/詳細:288P | 148*210mm/著者:キム・ヨナ

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