空前の下り坂 | てきとーなお話

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「空前の下り坂」
 
 私オリジナルのいわゆる学術用語。
 1991年2月から始まったとされる不況という経済現象を、まだ日本経済が不況に入っていると認識されない段階で、予言的にそれを言い当てた言葉が「空前の下り坂」だった。
 一般には、不況が始まって10年たってから作家村上龍がNHKの番組で使ったことから流行語のようになった「失われた10年」と、20年経ってから修正された「失われた20年」が有名だが、それと同じ時間軸上の経済現象を指した用語である。
 
 日本経済の動向に関する「前例を見ない長期に渡る持続期間の予測できない不況」を意味していて、「失われた10年」のような結果論に施した格好のよいキャッチコピーではなく、予言的な実績のある学術的用語だ。
 1991年9月9日私がオリジナルで使い始め、以後ずっと使い続けている。私は「失われた10年」という語を一切使わず必ず「空前の下り坂」と言い換える。

 1991年後半頃、テレビ朝日系で放送されていた報道バラエティ番組『ニュースステーション』(以後『NS』と表記)の久米宏宛てに名指しで、このような一文を含んだ封書の投書を送った。
 
日本経済はこの先空前の下り坂に差し掛かるだろう
 
 1985年のプラザ合意をきっかけに始まったバブル景気が終わり、1991年2月から不況期に入ったという景況認識は、それから1年以上経ってすべての統計指標の確定値が出そろってから一般論的に周知されるようになるもので、不景気が始まった当時にはそのような認識はもたれていない。
 私が「空前の下り坂」を含んだ投書をした時期も、『NS』という日本人の多くがニュース知識を依存している番組ではまだ「好景気は続いている」という認識のもと制作されていた。

 「この先日本経済は空前の下り坂に差し掛かるぞ」という挑発的な文章に、久米宏は敏感に反応した。
 
 ある経済ニュースの際、経済を担当するコメンテーターにそれに関して四の五の論評させた後、久米宏はこう付け加えてコメントを求めた。
 
「巷のうわさスズメが囁くのがうるさいのでお訊きしますが、本当にこの先日本経済は大丈夫なのでしょうか?」
 
 メディアは主権者国民の意見を「楽観か悲観か」「明るいか暗いか」「甘口か辛口か」の二分法で分類する知能しかもっていない。
 空前の不況が来ると「悲観している」奴がいるから安心させてやってくれ、と予め打ち合わせでもしていたのか、この質問を受けて経済コメンテーターは笑顔でこのように答えた。
 
「ファンダメンタルズは堅調だから大丈夫、安心してください」
 
 それを聞くとお約束のように久米宏はカメラ目線になり、テレビを観ている「うわさスズメ」に向けて嫌味ったらしく語り掛けるように、「大丈夫だそうですよ」と言った。
  私が書き送った「空前の下り坂になるだろう」という予測は揉み消され、「莫迦なうわさスズメがこの先不況になるんじゃないかと悲観し不安がっている」という情報に加工されすり替えられて大衆に向けて伝えられたのである。
 
 これを私は「メディアによる情報操作」「正しい言論の揉み消し」と呼んでいる。
 
 それから10年ほど経った後、久米宏は村上龍の単なる結果論につけたキャッチフレーズを使い、このように言った。
 
「失われた10年。日本がこうなるとは10年前誰も予想しなかった」
 
 私が正しく予想したものを久米宏は自ら揉み消した。
 揉み消すだけに留まらずそういうことを自分がしたという事実すら、すべて抹消し「なかったこと」にしたのである。
 こういうテレビメディアによる情報操作と正しい言論の揉み消しは、この時だけに限らず連綿と現在まで日常的に続けられているのだ。
 
 この偽善を忘れぬために、私は「空前の下り坂」というオリジナル語をこれからも使い続けてゆく。