赤い運命 | てきとーなお話

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『赤い運命』。
 
 山口百恵主演の大映テレビドラマ、いわゆる「赤いシリーズ」の三作目である。
 1976年4月から2クール。28話まで続いた連続ドラマだ。
 「赤いシリーズ」は明治安田生命調査で毎年発表される「理想の夫婦ランキング」で2016年まで11年連続一位になった三浦友和・山口百恵夫妻がかつて共演していたドラマシリーズでとても人気があった。

 『赤い運命』は三浦友和に代わり南条豊が恋人役だったが、当時から理想のカップルと思われていた二人の間に割込んできたような感じだったから、映画『エデンの海』とともにファンから総すかんを食らい、結局恋人役は4作目の『赤い衝撃』では三浦友和に戻った。

 私も本放送を間違いなく観ているが、設定の大枠は記憶するものの、筋書きも場面もほとんど記憶に残っていない。
 唯一山口百恵演じる直子がすり替わった父島崎(三國連太郎)の元へ持っていった弁当を、機嫌を損ねた島崎が蹴ってひっくり返してしまう場面だけが、妙に鮮明に残っている。再放送を視聴してみるとその場面は第19話のなかにあった。
 
 山口百恵の歌唱楽曲で私が最も好むのが赤いシリーズ第4作『赤い衝撃』の挿入歌「走れ風と共に」で、『赤い運命』の主題歌は全く忘れていたのだが、再放送を観て改めて感銘を受けた。一番好きな楽曲になるかもしれないほど詞がよかった。

 作詞は千家和也氏。1970年代の流行歌では欠かせない作詞家の一人だ。
 歌詞を少し書き出してみる。
 
「赤い運命」
作詞 千家和也
 
誰かが私を 呼んでいる
小さく淋しく そしてなつかしく
生まれた時から この胸の
どこかで知らない 声が聞こえてる
この広い空 あの流れ星
いつか見たような 気がするの
もうひとりの私が 何処かにいます
もうひとりのあなたを 捜しています

 
 人知が常識としている事実にいまだ登録されていない事実があって、人は思考力や想像力を使ってそのことに思い至ることがある。今常識とされているもののなかにも同じような知性によっていわば発見されたものが多く含まれるのだが、それでもまだ知られていないものがある。知られない「真実」のようなものだ。
 どの教科書にも書いていないが、考え想い描いているうちにそのことに気づくことができてしまう、ということがたまにあるのだ。その真実の一端を書き記していると思える歌詞がこれで、その点で私は感嘆したのだった。
 
 同時代に、類似したイメージを描いた流行歌の歌詞がほかにもなくはない。
 
ああ、日本のどこかに私を待ってる人がいる
 
 だからひとは旅をしたがるものなのだ、ということなのだが、この至言は谷村新司作詞作曲「いい日旅たち」の一部で、これも歌唱は山口百恵だった。
 
 もう少し時間が下って2000年代に入っても、巫女のような女性を媒介して天から降ってきたような楽曲もある。
 
「きみにしか聞こえない」
作詞:吉田美和
 
きみにしか聞こえない この声は今でも
呼び続けてるよ 届くように 繋がるように
きみの名前を何度も
i'm callin' you, callin' your name
 
きみだけが聞こえた この声で名前を
呼ぶたびにまだ まるでここに きみがいるように
胸があたたかくなるの
i'm callin' you, callin' your name
 
この声が あの時きみに 届いていなければ
あきらめていた 知らずにいた 誰かを思う
すごく大切なことを
i'm callin' you, callin' your name

 ここまで長くいわゆる「神のことば」を書き下ろしたのは感心する。
 吉田美和は大した巫女だ。
 残念ながら商業楽曲にするために二番の歌詞を追加したのだがそれが一番の神のことばを台無しにするような俗的なものだったので楽曲全体の普遍的価値は帳消しにされてしまった。
そこが預言者でない巫女の能力の限界といったところか。
 
 この世のどこかに生まれたときから、もう一人の自分が存在している。
 「私はなぜ生まれて生きているのか」という哲学的な問いかけの答がそれだ。
 もうひとりの自分の存在を感じ、その声を聴くことがある。もうひとりの自分を探し当てるために人は生き考え想像を巡らし、その場にいたたまれずどこかへ行こうとする。旅に出たがる。
 
 たった一人を探し求めるたましいの疼きと躍動が、本来の目的を見失いただの欲として残った。その欲を満たすために商品が生まれかねができ経済が発達した。権力ができ国家ができ文明が生まれた。そして文明の必然として犯罪も戦争も偽善も生まれた。
 
 その時代に売れている流行歌の歌詞を見れば、この地域に住む人間がどのような段階にあるかが透けて見える。
 1985年以降『赤い運命』のような歌詞はほとんど聴かれなくなった。
 
独りじゃないんだ、みんながいるから大丈夫なんだ
 
 そればかりになった。
 
 何のために生まれてきて何のために生きているのかを自分の意志で考えるようになるまえに、その目的をさっさと失ってしまうためだ。
 
 性交渉の低年齢化は進み、できちゃった結婚があたりまえ、婚外性交渉が普通になった。よく分からないうちに、他人の圧力に屈して、意味も将来のことも考えず性交渉だけはしてしまう。
 夕方の5時から放送している自由放言番組の肥満したおネエタレントは、セックス未経験を「一緒に仕事をしたくない相手の条件」とし、劣った人間というレッテルを貼る。こういう圧力によるマインドコントロールだ。
 そうやってたった一人を求めて生きているという歌詞は書かれなくなり絶対的孤独に脅えて、みんなで傷を舐めあおうとするようになったわけだ。
 
 日本という地域に住む人間たちは、経済だけでなく命すらもすでに空前の下り坂を高速で下っているのだろう。