こんにちはニコニコルチェです


今日は「清濁併せ呑む」という言葉のお話



もうほんっと前になりますが…学生のころ

白黒や善悪が

はっきりしていないとダメな性格でした


たとえば横断歩道が左右側にあるなら

そこまで進んで直角に曲がって渡るとか

ひとの行動をすべて良し悪しだけで考えて

指摘しちゃうとか

今思うとなんとなく煙たい子でした


まぁそんな一方で

左右違う靴で登校しちゃうとか

ボタンのかけ違えに気づかない子だったから

余計煙たい(笑)


今でもそんな気質はあるんだけど

ある時期に「これじゃダメだ」って

思い立ったんです



卒業して少し経ったとき


いままでの自分とは

かけ離れた世界が見えそうなお仕事を

しようと決めたとき



そのお仕事をしようと決めたのは

"緊張する性格を改善しよう"という理由と

"清濁併せ呑むことのできる人になろう"

と思い立ったからでした


外面は華やかだけど

なんとなくグレーな部分が多そうという

イメージがあったので選びました真顔


結果的にはいろいろあって

そのお仕事から離れてしまったけれど

人見知りとは思われない程度にはなれたし

すべてを白黒や善悪では見なくなれました


ほんとにおかげさま


たくさんの素敵なひとにも出逢えたし

カチコチの心や頭が少しだけ柔軟になれた

わたしにとってはある意味天職でした



と、思い出はこのくらいにして…



まだ"清濁併せ呑む"ほどの度量は

わたしにはありませんが

ひとや物を白や黒、善悪で見るより

もっと多角的に見たほうが

相手も自分も

しあわせでいられるんじゃないかなと

わたしは思います


見えてる部分なんて氷山の一角だしね


特に何があったわけでも

誰かに伝えたいわけでもないけれど

最近よく想うことでした



それでは

今日もあなたにとって

しあわせを感じられる一日でありますように