変な言い方ですが
両親の住む長野へ
わたしが移住するという決心は
『骨を埋める』
覚悟でいるということを意味しています
(先のことはわかりませんが)
けれど
『親の面倒を見る』っていうニュアンスはハッキリ言って好きではありません
どちらかというと、今まで育てていただいて
好きなように生きてきて
けれど、お互い歳を取り、遠くに住んでいるのがなんとなく心配になり
『当たり前』
のように、『一緒に住みたい、両親の役に立ちたい』と強く思ったと言った方が、しっくり来ます
そう思うまでが長く掛かりましたが・・・
だから
『親孝行ね』
なんて言われると
正直なところ、わたしとはちょっと掛け離れている感じ(照れかな)がします
何が親孝行かなんて、未だにわからないし
わたしがどんなふうに役に立つかもわからない
でも
『一緒に住みたい』と思えた気持ちを大事にしよう、と思っています
根拠はないのですが、どんなことがあっても、その根底に立ち返ることが出来れば、気負いのない『覚悟』がやわらかく根付いていくと信じているからです
明日は
また長野です
寒いんだろうな
