変な言い方ですが

両親の住む長野へ
わたしが移住するという決心は

『骨を埋める』
覚悟でいるということを意味しています


(先のことはわかりませんが)


けれど
『親の面倒を見る』っていうニュアンスはハッキリ言って好きではありません


どちらかというと、今まで育てていただいて

好きなように生きてきて


けれど、お互い歳を取り、遠くに住んでいるのがなんとなく心配になり
『当たり前』
のように、『一緒に住みたい、両親の役に立ちたい』と強く思ったと言った方が、しっくり来ます

そう思うまでが長く掛かりましたが・・・


だから
『親孝行ね』
なんて言われると
正直なところ、わたしとはちょっと掛け離れている感じ(照れかな)がします


何が親孝行かなんて、未だにわからないし
わたしがどんなふうに役に立つかもわからない

でも
『一緒に住みたい』と思えた気持ちを大事にしよう、と思っています


根拠はないのですが、どんなことがあっても、その根底に立ち返ることが出来れば、気負いのない『覚悟』がやわらかく根付いていくと信じているからです



明日は
また長野です

寒いんだろうな

Lucereは今日も輝く!!!-100102_1604~01.jpg