柚木麻子さん著
『らんたん』を読み
この時代の女性にすっかり魅了され、
今年はこの時代

明治~昭和を生きた女性たちの本を

色々読もうと思っています!

 

 

 

 

 

今回は斎藤百合について。

 

『らんたん』に

斎藤百合は登場しないのですが

同じ時代ということで、

昨年読んで

すごくおもしろかったこの本を

読み返してみました。

 

 

 

斎藤百合は

視覚に障害がある女性の

社会的地位向上に生きた人です。

 

 

・明治24(1891)年愛知県に生まれ、3歳のころに失明
・利発さと様々な才能に期待され、岐阜訓盲院から東京盲学校に派遣生として入学
・盲女性の社会的地位向上の必要性を訴え、幼子を抱えながら東京女子大に入学(当時としては異例中の異例)
・本の点訳や点写、点字雑誌の発行などで、視覚に障害のある人も本を読めるよう活動
・盲女子高等学園の設立を構想。資金集め音楽会にヘレン・ケラーの誘致に体当たりで成功するなど奮闘
・学園設立には挫折するも、学びややいこいの場として困難を抱える様々な人がそこで助けられる

 

 

と、色々すごいのですが

 

 

私が特に

この人すごいなーと思ったところは

百合が良妻賢母に向わずに

自分の道を突き進んだところです。

 

 

どういうことかと言うと・・・

 

 

当時は

目が不自由な女性は

家事育児ができないと決めつけられ

全盲の女性は結婚するべきではない

という考えが一般的でした。

(家事育児が結婚の条件ということ自体が差別的ですが) 

 

 

それゆえ、

当時の女子教育は

良妻賢母が基本理念だったにも関わらず

それに反して

盲学校ではあえて家庭科教育をしない

「お嫁さん」などの言葉は決して出さない

など

盲女性を結婚から遠ざけようとするのが

当然のこととされていました。

 

 

 

斎藤百合は

生き方に制限をかけるような

そのような考えに強く反発。

 

盲学校で知り合った弱視の男性と結婚し

5人の子供を産みました。

 

「結婚がすべてだとは思わないが、普通人なみに生きたい、女としてあるがままに人生を歩んでみたい」

 

 

当時の常識をとび越えて

結婚を手にした百合でしたが、

その後さらに

結婚後は女性はこうあるべき

という常識をとび越えます。

 

 

結婚後は早々に

雇ったばあやや同居の姑に家事を任せ

幼子を抱えながら大学に通うなど

盲女性の社会的地位向上という目標に

進んでいきます。

 

 

もし私が同じ立場だったら

 

私だっていい妻になれる!

立派に子供を育ててみせる!

見ていなさいよー!ムキーキー!
 

て感じで

むしろ良妻賢母に

突き進んでしまいそう。笑

 

 

 

マイノリティが市民権を得るために

マジョリティの差別的なシステムに

のっかっていってしまうことは

よくあります。

 

そんなことには

全くならない斎藤百合、

本当におもしろい人です。

 

 

 

当時の様々な常識をとび越える

斎藤百合は本当にすごいのですが

この本には

もう1つすごいところがあります。

 

 

それは本が出来上がる過程。

 

 

この本の著者は

粟津キヨという

新潟から百合のもとに来た

全盲の女性。

 

目が見えないキヨが

活字の本を作るにあたって

 

キヨが点字で原稿を書き

他の人がそれを

普通字で原稿用紙に清書。

 

そしてそれをテープに録音して

キヨが聞いて推敲。

 

大勢の人の協力のもと

この作業を

何度も何度もくり返し

ようやく完成させたとのことです。

 

 

 

 

”その国の弱者の幸せ度合によって国家の文化程度をはかることができる”

と考えた斎藤百合。

 

そしてこのような過程で

完成したこの本。

 

すごい人とすごい本に

出会ったなぁと

昨年初めて読んだときに

思ったのでした。