ここ数日、

ケアについて考えていました!

 

 

 

女である私は

今も、そして近い将来も、

家族(両親も)の世話を一身に押し付けられるのでは

と戦々恐々としています。

 

 

 

 

 

こちらの本を読んで、

 

”ケア”とは、生きることそのもの

 

と、広くとらえるようになりました。

 

 

 

そこから

私が思うケアの大きな要素は

 

①食事

②住環境

③個の時間(仕事、趣味)

④休息

 

です。

 

 

 

そして

ケアと経済性を結びつけてしまうことが

ケアの不平等に繋がっている

と思いました。

 

 


 

 

 

 

例えば、

 

専業主婦が

家事労働をするのは、

経済性がなくかつ

物理的に時間があるからです。

 

 

生活を回す役割分担という意味で

ある程度その役割を引き受けるのは

まあ仕方ないのかな、と思います。

 

 

しかし、

フルタイム勤務で物理的に時間がなくても

夫より収入が低いということで

家事負担多め(もしくは全部)

というのはよく聞きます。

 

 

 

ケアと経済性を結び付けることで、

働いていても働いていなくても

③個の時間(仕事、趣味)
④休息

が足りていない女性(特にお母さん)は

多いのかな、と思います。

 

 

 

 

 

また、最初に

”ケア”とは、生きることそのもの
と書きましたが、

 

例えば

 

食事も不規則、部屋もぐちゃぐちゃで

働きまくる企業戦士(やブラック企業勤務)

 

①食事:×
②住環境:×
③個の時間(仕事、趣味):仕事のみ
④休息:×

 

の状態ですが、

 

こういう生きる営みを放棄すると

過労死やうつなどに繋がっていきます。

 

 

 

 

また、この生きる営みに責任を持たず

自分の役割ではないと思うと、

 

家事を妻にまかせっきりで

自分は好き勝手やっているお父さん

 

①食事:×(人任せ)
②住環境:×(人任せ)
③個の時間(仕事、趣味):〇
④休息:〇

 

というパターンが生まれます。

 

 

 

 

 

料理も掃除も洗濯も慣れです。

 

 

自分の役割ではないと

思っているから

やらなくて慣れることがないのです。

 

 

 

父は本当これです。

 

 

そして夫も、

結婚前は自分でやっていたようですが

結婚後、特に私が仕事を辞めてからは

その傾向をまぁまぁ感じます。

 

 

これらは

ケアと経済性が結び付けられているのと

性的役割分担の固定化が

原因だと思います。

 

 

 

そして私も、

社会人になるまで実家に住んでいた間

ほとんど母にやらせていました。

 

これは自分の生きる営みに

責任を持っていなかったからです。

 

 

 

 

 

 

ケアを一身に押し付けられるのでは
と戦々恐々としていると書きましたが、
私はケアをしたくないわけではありません。

 

 

ケアの不平等が不満なのです。

 

 

 

人は他者からケアを受けないことは

ありえません。

 

 

赤ん坊はケアなしには生きられませんし

老いたらケアを必要とします。

 

 

普通に生きていても

何らかのケアを必ず受けています。

 

 

 

私が

不満なくケアを提供できるには、

 

お互いが

自分の生きる営みに責任を持ち、

経済性とは関係なく

他人の時間を尊重する

 

これが必要なのです。

 

 

 

 

そしてこのように

ケアの認識が変わることで、

重要な労働にも関わらず

不当な扱いを受ける様々なケア労働が

改善されていくのだと思いました。

 

 

 

<ケアする者もまた、ケアされるに値いする>と、ケアがいかに、重層的に、あたかも入れ子状態になって連なりあっているかを指摘したが、多くのひとは、誰かを支えながら、誰かに支えてもらっているのだ。そして、往々にして、依存者に対する実際のケアを担ったことがない者たちは、意識することなく、一方的に誰かにケアされ続けている。

 

 

 

 

ということで、

 

これを啓蒙するべく(特に父)、

どこかのタイミングで

久しぶりに実家に行ってみようかなと

思った今日この頃でした(・∀・)

 

 

 

 

 

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