こんにちは。最近、震災後特にですが、
TVやPCから流れるニュースから
その光景に唖然としてしまうこと、
また心あたたまる光景を目にしたりと
未だ緊迫した状況で、
日本中、私達全体の心も少し冷えてしまっている
そんな日々の中、ブログを書こうとPCに向き合っても
今色々書きたい事はあるけれど
正直、何をどんな言葉で書こうかと
手が止まってしまうことが続いていました。
でも今日は、少し長くなりますが感じることを
素直な言葉で綴らせてもらおうと思います
この状況下、皆が助け合い励まし合って
生きていく人々。高々と積み上がったがれき、
何もなくなってしまった町が映し出される傍らで、
「母親を亡くし、家や持ち物はなくなってしまった。
ただ自分は生きて戻ることが出来た。
そして森や海~自然までもがなくなったわけじゃない。
時間はかかっても、また一から復興するし出来るんだ」
と話す人。
それを見ていて、思い出されるのが
私自身、阪神淡路大震災で経験した出来事で、
今回の震災の被害はとても大きく規模も違うけれど
その時も沢山の人が犠牲になり、
私的な所では家は全壊し、幼馴染も犠牲になり
小学校の避難所で過ごした事
隣の人にカイロをわけてもらい
冷たいおにぎりを分けあって、
知らない人のお家に、お風呂に入らせてもらいに行ったり
家がみつかるまで、とにかくあの当時もそうして
周りの人に助けてもらいながら
過ごした事を覚えています
私は戦争を経験したことはないけれど、
町も何もかもがなくなってしまった戦後から、
これまでも各地で度々起きてきた天災。
その度に失ったものは多く、途方に暮れる中
人々はそれでもゼロからスタートし、
家族を守り、手を取り合ってここまで復興してこれた
その人間の力強さは、凄まじいものだと思ったし
今後も必ずみんなでやり直せるとも思っています。
ただ、そんな事を思う一方で、
信じられない噂、風評もあったりするようで
お客様との会話の中でも信じがたいお話も聞いたり、
一部のことであっても"人の心"の部分で
悲しくなることもあります。
今から書くことは、このような天災とケースも違うし
私のごくごく身近な人が経験したことで
個人的な体験なので小さな話なんですが…
その彼女が以前勤めていた会社での出来事で、
あってはならない大事故が起きました。
大企業で、何千人という社員が居る会社でしたが
事故の原因は完全にこちらの会社の責任、
この為に沢山の方の命を奪い、怪我をされた多くの方も
後遺症を残すほどの大変なこととなってしまいました。
事故後、彼女の仕事は問い合わせに来られるお客様を
案内し誘導する毎日、何もかもがストップしているので
誰も通らなくなってしまった職場でも社員交代で
外に立ち続ける日々が続きました
これは天災ではなく人災、
意図的に起こした事故ではないけど
多くの方を犠牲にし、被害者やその遺族の方以外の
お客様全員にも多大な迷惑をかけていること、
何を言われても、何をされても仕方がない。
そして彼女もその会社に勤務する一社員として
詫びても詫びきれないこととはわかっていても
心から頭を下げるしか出来ない日々
一部のこととはいえ、
その中で問い合わせに来られたお客様と話していると
突然、そこに置いてあった花瓶を投げつけられたり
ある時は、前からこの会社は気に入らない。
土下座をしろといわれること、傘を振り回したり
職場を歩いていると、後ろから押され
この会社はこんなに迷惑をかけてお前たちが死ねばいい、
と言われることもありました
職場近くに住んでいた彼女は、私服の時でも
声をかけられることもあり
当時はその近辺を歩くことすら怖いと感じていました。
運営が止まっていたのは数カ月、だけど彼女には
数年間と、とても長く感じられる期間でした
そんなこともあるけれど反対に、
頑張ってと飴を握らせてもらったこと、
こんな事が起きてお客様も不安なはずなのに
復旧したら、またここを使うからね。乗り越えてねと
笑顔でそう言って声をかけてくれる方・・
彼女は、その一つの言葉にどれだけ力をもらい
救われ、感謝したことでしょう。
ある時、被害者遺族の方のご自宅に説明と
謝罪をしに行く社員が、その帰り道
彼女の職場に駆け込んできたことがありました。
毎日通っていたご遺族の方から、
反対にこちらの体調を気遣われ、手を握られたそうです。
そして奥の方で、迷惑をかけたのはこちらなのにと、
男性社員は目を真っ赤にして泣いていたんです。
彼女は何をされても仕方がないと思いながらも
大変な時にこそ表れてくる、
人の心の恐ろしさや浅ましさもあるということ
それと同時に人の心の優しさ、あたたかさ、
それをありがたいと心から感謝するという
大切な気持ちも痛感したそうです。
状況も違うから、少し関係のない話となりましたが
ただ、こんなこともあったという小さなお話です。
現状、必要なものはたくさんあります。
お金や物資。それぞれの支援。
今みんながそれぞれの思いを胸に
毎日過ごされていることでしょう
被害のない地域の人々の心も
何が出来るのか、また自分はこうしていていいのか・・
葛藤、きっと言い表せない
複雑な心境もあると思います
でもどんな時でも、どんな行動をする時も
その源にある心のあり方が
肝心なのではないかと思います。
たとえ何が出来なくとも、
相手を慈しむ、相手を想う気持ち
自分の奥深く深くの心に、その姿勢があるならば
必ず伝わり、相手の心に響くんだと。
人間一人で出来ることはわずかかもしれません。
こんな今だからこそ同時に心の支え、心のケアを
みんなでわかちあって、もっともっと出来れば。
キレイごとじゃない、だけどこれも重要なこと。
そしてそれはいずれ
私達全員のすごく強大な力となって
返ってくると、
そう思えてなりません。
TVやPCから流れるニュースから
その光景に唖然としてしまうこと、
また心あたたまる光景を目にしたりと
未だ緊迫した状況で、
日本中、私達全体の心も少し冷えてしまっている
そんな日々の中、ブログを書こうとPCに向き合っても
今色々書きたい事はあるけれど
正直、何をどんな言葉で書こうかと
手が止まってしまうことが続いていました。
でも今日は、少し長くなりますが感じることを
素直な言葉で綴らせてもらおうと思います
この状況下、皆が助け合い励まし合って
生きていく人々。高々と積み上がったがれき、
何もなくなってしまった町が映し出される傍らで、
「母親を亡くし、家や持ち物はなくなってしまった。
ただ自分は生きて戻ることが出来た。
そして森や海~自然までもがなくなったわけじゃない。
時間はかかっても、また一から復興するし出来るんだ」
と話す人。
それを見ていて、思い出されるのが
私自身、阪神淡路大震災で経験した出来事で、
今回の震災の被害はとても大きく規模も違うけれど
その時も沢山の人が犠牲になり、
私的な所では家は全壊し、幼馴染も犠牲になり
小学校の避難所で過ごした事
隣の人にカイロをわけてもらい
冷たいおにぎりを分けあって、
知らない人のお家に、お風呂に入らせてもらいに行ったり
家がみつかるまで、とにかくあの当時もそうして
周りの人に助けてもらいながら
過ごした事を覚えています
私は戦争を経験したことはないけれど、
町も何もかもがなくなってしまった戦後から、
これまでも各地で度々起きてきた天災。
その度に失ったものは多く、途方に暮れる中
人々はそれでもゼロからスタートし、
家族を守り、手を取り合ってここまで復興してこれた
その人間の力強さは、凄まじいものだと思ったし
今後も必ずみんなでやり直せるとも思っています。
ただ、そんな事を思う一方で、
信じられない噂、風評もあったりするようで
お客様との会話の中でも信じがたいお話も聞いたり、
一部のことであっても"人の心"の部分で
悲しくなることもあります。
今から書くことは、このような天災とケースも違うし
私のごくごく身近な人が経験したことで
個人的な体験なので小さな話なんですが…
その彼女が以前勤めていた会社での出来事で、
あってはならない大事故が起きました。
大企業で、何千人という社員が居る会社でしたが
事故の原因は完全にこちらの会社の責任、
この為に沢山の方の命を奪い、怪我をされた多くの方も
後遺症を残すほどの大変なこととなってしまいました。
事故後、彼女の仕事は問い合わせに来られるお客様を
案内し誘導する毎日、何もかもがストップしているので
誰も通らなくなってしまった職場でも社員交代で
外に立ち続ける日々が続きました
これは天災ではなく人災、
意図的に起こした事故ではないけど
多くの方を犠牲にし、被害者やその遺族の方以外の
お客様全員にも多大な迷惑をかけていること、
何を言われても、何をされても仕方がない。
そして彼女もその会社に勤務する一社員として
詫びても詫びきれないこととはわかっていても
心から頭を下げるしか出来ない日々
一部のこととはいえ、
その中で問い合わせに来られたお客様と話していると
突然、そこに置いてあった花瓶を投げつけられたり
ある時は、前からこの会社は気に入らない。
土下座をしろといわれること、傘を振り回したり
職場を歩いていると、後ろから押され
この会社はこんなに迷惑をかけてお前たちが死ねばいい、
と言われることもありました
職場近くに住んでいた彼女は、私服の時でも
声をかけられることもあり
当時はその近辺を歩くことすら怖いと感じていました。
運営が止まっていたのは数カ月、だけど彼女には
数年間と、とても長く感じられる期間でした
そんなこともあるけれど反対に、
頑張ってと飴を握らせてもらったこと、
こんな事が起きてお客様も不安なはずなのに
復旧したら、またここを使うからね。乗り越えてねと
笑顔でそう言って声をかけてくれる方・・
彼女は、その一つの言葉にどれだけ力をもらい
救われ、感謝したことでしょう。
ある時、被害者遺族の方のご自宅に説明と
謝罪をしに行く社員が、その帰り道
彼女の職場に駆け込んできたことがありました。
毎日通っていたご遺族の方から、
反対にこちらの体調を気遣われ、手を握られたそうです。
そして奥の方で、迷惑をかけたのはこちらなのにと、
男性社員は目を真っ赤にして泣いていたんです。
彼女は何をされても仕方がないと思いながらも
大変な時にこそ表れてくる、
人の心の恐ろしさや浅ましさもあるということ
それと同時に人の心の優しさ、あたたかさ、
それをありがたいと心から感謝するという
大切な気持ちも痛感したそうです。
状況も違うから、少し関係のない話となりましたが
ただ、こんなこともあったという小さなお話です。
現状、必要なものはたくさんあります。
お金や物資。それぞれの支援。
今みんながそれぞれの思いを胸に
毎日過ごされていることでしょう
被害のない地域の人々の心も
何が出来るのか、また自分はこうしていていいのか・・
葛藤、きっと言い表せない
複雑な心境もあると思います
でもどんな時でも、どんな行動をする時も
その源にある心のあり方が
肝心なのではないかと思います。
たとえ何が出来なくとも、
相手を慈しむ、相手を想う気持ち
自分の奥深く深くの心に、その姿勢があるならば
必ず伝わり、相手の心に響くんだと。
人間一人で出来ることはわずかかもしれません。
こんな今だからこそ同時に心の支え、心のケアを
みんなでわかちあって、もっともっと出来れば。
キレイごとじゃない、だけどこれも重要なこと。
そしてそれはいずれ
私達全員のすごく強大な力となって
返ってくると、
そう思えてなりません。