時々

離れて暮らす娘から

 

 

「アレッタの写真を送って」

 

 

というラインが届きます。

 

 

多分

ホッとしたい時に

アレッタの写真を眺めたいんだと思います。

 

 

そんな時

私が撮った写真を送ることもあれば

主人が撮った写真を送ることもあり

まぁ

それほどチョイスしているわけでもなく

近々のアレッタを見せているわけです。

 

 

先日はリクエストはなかったけど

久しぶりに送ってみようかなと思い

数枚送りました。

 

 

少し経ってから

娘からありがとうの返事と一緒に

こんな言葉が添えてありました。

 

 

「ママの撮るアレッタは綺麗で

冨谷さんの撮るアレッタは可愛い」

 

 

あぁ

なるほどなぁ。

 

 

人は自分が見たい世界を見ているというけれど

本当にそうなんだなぁと。

 

 

夫はアレッタのことを

常々『田舎娘』と言っていて

きっと純朴そうで、素直そうなアレッタが目の前に映っているようです。

だから

写真もそんな感じになる。

 

 

私はそうは思っていなくて

アレッタの中の凛とした部分も気に入っているから

写真で撮る時はそこを見つけたいと思っている。

 

 

とは言え

写真が上手いわけでもなく

いつも同じような写真になるのだけれど

裏を返せば

同じような写真ということは

常にお互いにそこに焦点をあてて撮っているということ。

 

 

同じものを見ても

そこに何を見つけるか、感じるかは

一人一人違う。

 

 

目にしている景色

心が感じているもの

そこから生まれる思考。

 

 

それは

目にしたいものを映し出し

自分が選んだ感情を持ち

自分の考えを作り出している。

 

 

100人いれば100通りの世界があって

100人いれば100通りの感情があって

100人いれば100通りの思考がある。

 

 

我が家の場合は

二通りの世界と感情と思考。

 

 

同じアレッタでも

二人の前にはそれぞれのアレッタがいる。

 

 

アレッタはそんなこと何も考えていないと思うけど。

 

 

それぞれの景色。

分かり合えなさそうな時もあるけれど

違うということが分かれば

それはそれで上手くやっていける。

 

 

いろいろな視点で見てみたら

人だったり、物だったり、場所だったりの

いろいろな面を発見することができるから

違う世界をそれぞれが持つことは

とても良いこと。

 

 

アレッタにしてみれば

いろんな面を引き出してもらえる。

 

 

ちなみに

上の写真は私が撮ったもの。

凛とした部分を見つけたいと思っているのは

アレッタに対してというよりは

もしかしたら

私自身がそうでありたいと思っているのかも。

 

 

『人は見たい景色を見ている。

望んでいる景色を映し出している。』

 

 

先日行ったオホーツクの景色

海の上に一直線の雲

私には龍に見えて私たちを先導してくれている気がしました。

夫にはどう映っていたのかなぁ。