週末になると
両親に会いに帰ります。



一週間分の買い物と
一週間分の両親の話を聞くことが
私の仕事。



両親の話といっても
ほぼほぼ母の話相手になり
話の半分は
愚痴だったり、昔の話だったりで
毎回そんな感じです。



好奇心旺盛の母は
やりたいことがまだまだあって
でも
体力的に無理だともわかっていて
「あぁ もっと若い時からやっておけばよかった」
「なかなか外出することもできないし」
となかなか前向きにはなれないようです。



そんな母とは
もう50年以上付き合っているので
性格もわかるし
こういうご時世なので
愚痴の一つも出ると分かっていても
何故か母の愚痴は私の神経を苛つかせる。



「私はそんなに心の狭い人間なんだろうか?」
なんて感じで
自分に自信を無くしたりもしました。



でも
「なんでだろう?」
という思いがあまりにも強かったので
ちゃんと自分に向き合ってみました。



「私は何故母の愚痴が許せないのか?」



そうしたら
「きっと
何かの痛みを思い出さないように
『許せない』
という怒りでそれを隠しているんじゃないか」



そんなことが心に浮かびました。



その痛みってなんだろうか?



痛みが怒りに変わるって
なんだろう?



もう
自分との対話しかありません。



心の奥底で
燻ってるものを
外に出す作業でした。



しばらくすると
一つの言葉が浮かんできました。



『辛かったんだよね』



そう心は言ってくれました。



『離婚したとき、私は本当に辛かった。
でも、私の離婚で両親も悩んでいて、先行きが不安でイライラしていて、そんな二人を見ていたら、私も辛いんだとは言えなかったんだよね』



そう心は解説してくれました。



あの時
私は辛いと言わなかったのに
何故母はこんなに軽々愚痴を言うんだろう。
私には辛いと言わせなかったのに。
しっかりするように求めたのに。



これが
私の『許せない』の正体。



今思えば
「辛いと言うな」とも
「しっかりしろ」とも
強要されたわけではなく
自分でそう決めて行動していたわけですが



それは
本来の自分ではなく
「きっとこうすることが理想なんだろう」
そう考えて行動していたんだと思います。
両親に
「しっかりしてる」
そう思われたかったのかもしれません。



自分の心を
ないがしろにしていたのは
誰でもない自分。



両親の目を気にして
正直になれなかった自分。



だから
今までそれが燻っていた。



辛かった自分を
自分が封印していた。



「あの時私だって辛かったんだ」



この一言が言えずに
痛みを隠して平気な顔をしてた。



それがようやくわかりました。



なので



心の中で
あの時の私を
後ろからギューって抱きしめてあげました。



「辛かったんだよね。その感情をないものにして
ごめんなさい」



そう言いながら。



そうしたら
とても心が軽くなって
「もう大丈夫だな」
という気持ちになりました。



これだけのことなのに
本当に軽くなったから不思議なんですが。



原因は常に自分の内側にある。



そして
痛みは心の奥にある。



それと向き合わなければ
本当の解決はないし
悩みからの解放はありません。



さてさて
心の中はスッキリしたので
次に会う時は
素直に話を聞けるんじゃないかなと。



でも
やっぱり明るい未来の話がいいなぁ(笑)


もう開放感しかない草原。
いろんなことでいっぱいになったら
こういう場所で溜めたものを放電〜。