心の拠り所✩*。シンプルに自分らしく自然体で生きる量子場師&住職ママブログ -96ページ目

心の拠り所✩*。シンプルに自分らしく自然体で生きる量子場師&住職ママブログ

私は、40代で、3人26歳、24歳、22歳の息子たちの母で在り量子場師になり、僧侶になり今は自坊の住職になりました。悩む事も、いつか夜明けは必ず来ます。日々美しく自分の感じる本来生まれ持った身体で、自分らしく自然体で在りたいと考えています。

先先代開祖曽祖母の命日(縁日)に思うこと。



今週、当山で執り行わせていただく
「施餓鬼法要」は、
亡くなった方の
御供養と結びついていくものです。

私は、また、このお施餓鬼というものは、
日々生きていく上で、

貪瞋痴にもあります、
貪(とん)の貪り(むさぼり)という、

一種の煩悩ですね。

今この時、自分は
強欲になってはいないだろうか。

お金や物に支配されて、
必要以上に、

物に支配されていないかということを、
今一度、
振り返る事も意味していると
感じております。


日々の生活で施すということは、
物やお金、
物質的な物がなくても施しの心だと感じます。


毎日ニコニコ笑顔であったり、
ありがとうの感謝でしたり、
優しい言葉をかける事もできます。


亡くなった方に、
手を合わせる事も施しです。


自分さえ良ければという、
気づけない、
気づかない気づきにくい、
自分になっていないか、


欲は増えていないだろうかと、
私自身、

振り返る事も意味しているのだと感じて、
私もこのお施餓鬼で、
今一度、立ち止まり考えております。


この、コントロール出来ない自分を抑えるのも、
しかり、施す事だと感じます。

日々亡くなった方へ、
御先祖様に手を合わせる事これこそ、

見返りを求めない施しではないかなと、
私自身感じております。


皆様方には、
この施餓鬼という、
その意味を又噛み締めていただき、
日々の生活の中で、
この施しを続けていただきたい、
そのように思います。

                   合掌

#施餓鬼#施餓鬼法要#御先祖供養 
#施すということ