先先代開祖曽祖母の命日(縁日)に思うこと。
今週、当山で執り行わせていただく
「施餓鬼法要」は、
亡くなった方の
御供養と結びついていくものです。
私は、また、このお施餓鬼というものは、
日々生きていく上で、
貪瞋痴にもあります、
貪(とん)の貪り(むさぼり)という、
一種の煩悩ですね。
今この時、自分は
強欲になってはいないだろうか。
お金や物に支配されて、
必要以上に、
物に支配されていないかということを、
今一度、
振り返る事も意味していると
感じております。
日々の生活で施すということは、
物やお金、
物質的な物がなくても施しの心だと感じます。
毎日ニコニコ笑顔であったり、
ありがとうの感謝でしたり、
優しい言葉をかける事もできます。
亡くなった方に、
手を合わせる事も施しです。
自分さえ良ければという、
気づけない、
気づかない気づきにくい、
自分になっていないか、
欲は増えていないだろうかと、
私自身、
振り返る事も意味しているのだと感じて、
私もこのお施餓鬼で、
今一度、立ち止まり考えております。
この、コントロール出来ない自分を抑えるのも、
しかり、施す事だと感じます。
日々亡くなった方へ、
御先祖様に手を合わせる事これこそ、
見返りを求めない施しではないかなと、
私自身感じております。
皆様方には、
この施餓鬼という、
その意味を又噛み締めていただき、
日々の生活の中で、
この施しを続けていただきたい、
そのように思います。
合掌
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#施すということ
