クラブルーチェ自由帳 -5ページ目

クラブルーチェ自由帳

大阪デリバリーヘルス【クラブルーチェ】 
デリバリー配達をこよなく愛し自然を愛する店長を初め…日々の出来事、音楽、ファッションなどをつぶやき、お店で頑張るスタッフの紹介等など、思いついた出来事を普段着のまま書かせて頂きます。

言わば大人の自由帳です。

 ちっちゃな頃とかそうですねぇ大人になるまで
誕生日プレゼントばっかりねだっていたんですが・・

先日、とある本をコンビニで立ち読みをしていたところ
とても心打たれるエピソードに遭遇しました。
とある男の子の誕生日。

その男の子は母親に一言こういったそうです。
「誕生日ありがとう」
これには自分を生んでくれてありがとうという
意味を含んでいるようです。

普通、誰でも誕生日は誰かに祝って欲しいと思うもの。
でもこの男の子は違いました。

自分の命を宿し、愛を注いでくれた母親に
感謝するのが誕生日だという認識だったのです。

これには僕もハッとされられ心を動かされました。
「なんて心の豊かな人なんだろう。」

誕生日は祝ってもらうだけでなく、
生んでくれた母親に感謝をする日であるという認識。

すばらしいですね。
僕も照れくさいですが早速誕生日には
実行してみました。

・・・すると数分後

『ちか坊~(私のこと)どないしてん悪いもん食べた?しょうも無い事ええから早く実家に金いれろ~』
阪神JFは 18 サウンド オブ ハート
     13 Jヴィーヴル
     2  Eキンチェム の3頭から
   
彼の名はキャスパー・ハーウッド
しかし、彼はスタートを切ることが出来なかった

第2レースの下級条件戦、
彼の騎乗する馬はゲート入り前に大暴れした
彼は馬に振り落とされ、地面に叩きつけられた
意識不明の重体…
何とか一命は取りとめたものの、骨盤は複雑に折れ、
騎手はおろか、歩くことすら危ぶまれる大事故であった

1年4ヵ月後、過酷なリハビリ生活の末、彼は何とか歩けるようになった
しかし、騎手の夢は完全に絶たれ、新たな夢を模索することになった
彼は始め会計士を目指した
しかし、これは長続きしなかった
友人に誘われたことがきっかけで、演技の道に傾倒していったのである

その後、彼は俳優として活躍し、
37歳の時にはアカデミー賞に相当するイギリスの賞を受賞した
その授賞式の席で彼は俳優として1つの夢が叶ったと話した
しかし、一方で騎手への夢は彼の心の中から離れなかったようである
彼はそれに続けて、騎手へ憧れていた時代の話をし始めた
これを聞いた、エプソムのジョッキークラブは彼に大きなプレゼントをした

74年6月19日、エプソム競馬場、ブルートパーズという馬の背に彼の姿はあった
ジョッキークラブは彼に、レースの合間に騎乗機会を与えたのであった
彼を振り落とした因縁の馬のひ孫の背に跨り、彼はゆっくりとコースを周る
彼がゴールした時、実況はこうアナウンスした
「キャスパー・ハーウッド騎手、トップでゴールしました」
「優勝タイムは、21年1ヶ月と3日でございます」
彼をたたえる拍手はしばらく鳴り止まなかった

2011年12月4日阪神11R
私の推奨場ワンダーアキュートは惜しくも2着でしたが
久しぶりに馬券をGET
報告しておきます。クラブルーチェ自由帳
クラブルーチェ自由帳
久しぶりに母親を車に乗せ
大型スーパーに買い物
駐車場は満車で店からいちばん離れたところにクルマを止める。
66歳の母親にはお店までの400メートルはやや長いかな・・

私日村はオオタ店長曰く最強に運転技術がありえないほど
下手で(本人はそうは思ってないからまたこれが大変)

買い物を済ませ最後に母親親父の誕生日のケーキを
買うためにケーキ屋さんに寄ると言った。
ケーキ屋さんでは、「研修中」のバッジを胸につけた
学生らしき女の子が、私の接客をしてくれた。

ケーキも買い終わり、約400メートル先の駐車場で
の荷物を降ろすと、なにやら財布からレシートを取り出した。

「さっきのケーキ屋の子、おつり、多くわたしてる」
気がついた母親は走って、店へ逆戻りして行った。

いくら昔ママさんソフトで全国大会準優勝した時のレギュラーとは言え
400メートルは遠いだろう

何十円かのおつりの間違いで、またあの道のりを走って行く母の姿にびっくりした。
汗をかきながら母が戻ってきたので、私は、「わざわざ何十円かのおつりの間違いでふつう走って行く?」そう尋ねると、母は、
「もし、あの子が自分の子供で、十円であっても間違って、バイト先の人に叱られたら嫌やん」
そう笑って、なにもなかったかのように、家へとクルマを走らせた。

私は、母が子供の前で行なった親切が、
うれしくもあり、母が私の母であってくれることを改めて感謝している。

以上少しマザコンな所を見せてしまった日村でした

Friday 2th December
昔子供だった頃

そして給食のない土曜日のお昼

○本新喜劇をみながら・・
カレーライス
そして土曜日の晩

○ょうきん族か○員集合をみながら・・
カツカレー!

そして日曜の昼・・・
○本新喜劇をみながら・・
カレーうどんかカレーそば!かライスカレー
大きな鍋でつくったカレーは一日で食べれない!
男2人兄弟の家族はこんなもんである
もうええって!カレー
『いらんかったら 食べんでいいわ』と怒られて
しかたなく日曜の昼カレーを食べる・・・
あっ! うまい! なんで

3回目のカレーは旨いんだろう?
じっくり煮込まれた旨さなのか
その頃はそんなことどうでもよかった・・・
ただ食べたものがおいしいとか今日はそれは食べたくないとか
わがままに作ってもらったものに文句をつけて
親を困らせていたな~ って

カレーがおいしい理由の一つは
今日ぐらい楽していいよ いつもありがとうって
恥ずかしくて言えない変わりに 『おいしい』って
思えたのかな~!?

はたまたテレビが面白かったのかなぁ~
お母さんごめんなさいね
料理も遊びも気持ちが大事ですね~

Thursday 1st December
ある大物芸能プロデューサーがテレビで
語っていた名言です。
幾つか感銘を受けた部分があるので抜粋して見ました。

①仕事の壁は乗り越えるな
右か左かに動けば必ず切れ目があり、
それが活路となる。
乗り越えられないから壁なのであった、
乗り越えられるなら塀だ。
※塀か壁かは見た人しかわからないですが
超えられる人出来る人にしかやって来ない
・・・・が日村の見解ですが・・
②成功は1%の才能、
1%の努力、そして98%の運
成功を謙虚にとらえる所が凄いですね

③人生も仕事も失敗はない
人生も仕事もデッサン
一本の線(を描くの)に臆病になっていはいけない

④無理なことはすぐあきらめる
⑤仕事が忙しくても両親とは会話しろ
両親こそ人生のアドバイザー
⑥夢は全力で伸ばした手の指先の1ミリ先にある
最も感銘を受けました。
⑥自分はジャンケンが強いと思いこめ
自分は運がいいと思うと諦めない


以上お粗末ながら 日村でした。