急変した時
このままだともう母はもたないということ
人工呼吸器をつけるかどうかの早急な選択を強いられました。
姉とふたり
私たちは延命を希望しました。
母との別れがこんなに早く来るとは思ってなかった……
その日から姉と病室に泊まり込むことになりました。
父もつけていた人工呼吸器
見ているだけで辛かった
先生にしばらくしたらお母さん目を覚ますと思いますよ
そう言われて少しホッとしたのを覚えています。
そして翌日
本当に母の意識が戻りました
嬉しかった
こんな状況でも
母が生きていることだけが
ただただ嬉しかった。
それからすこーしずつ母の状態は安定し、意思疎通をはかることもでき、
徐々に酸素の調整をしながら
担当医から抜管の許可が出ました。
人工呼吸器をつけてから
ずっと話をすることもできなかった母
抜管し
母が私と姉に最初に言ったのは
『ごめんね…』
でした
涙が出そうでした
でもグッと堪えました。
その後、医師に呼ばれ
母の現在の状態と
やはり今後の延命治療について話がありました。
もう意識が戻っても
切り離すことの出来なくなった延命治療の選択。
延命治療については
次、状態が悪化し、人工呼吸器をつけたらもう二度とそれを外すことは出来ない
そしてその後の状況も先生から話してもらいました。
延命治療、
どこまでするか……
というような話しで、たくさんたくさん先生と話をしました。
こればかりはもう
私たち家族が決めなければならないのです。
答えの出せない私たちに、忙しいであろう先生は
ずっとずっと付き合ってくれました。
たくさん話を聞いて、ひとつひとつにちゃんと向き合って話をしてくれました。
私たちは例え母が寝たきりになったとしても
話ができなくても
どんなことをしてでも
母に生きていてもらいたい
母の存在がそこにあるだけでいい
正直、それが本音です。
でもきっと
母はそれを望んでない
人工呼吸器をつけて苦しむ父を母はみてきました。
もちろん私と姉もその姿を2年前にみていました。
それを
母が望むはずがない
私も姉も頭ではそうわかっていました
でも、それをお互い口に出すことは出来なかった
私たちの判断ひとつで
数日かもしれないけれど
母の命が決まる
そう思うと
どうしても
決断しきれなかった
悩んで
悩んで
悩んで
悩んで
私たちは決断をし、先生に伝えました。
人工呼吸器はもう
しない
心臓マッサージも……
かなり痩せていて間違いなく骨が折れると言うことなので…
血圧をコントロールするお薬や、母に痛みや苦痛が伴わない処置だけ、
お願いしました。
今まで
たくさん、たくさん苦しんできた母
たくさん、たくさん我慢してきた母
たくさん、たくさん頑張ってきた母
そんな母に
これ以上
苦しい思い
辛い思い
痛い思い
させたくなかった。
これ以上頑張れ‼️って
もう言えなかった
祖母や母の弟、私、姉、みんなで出した決断だった。
それから数日
たまたまGWだったため、私の家族、姉の家族、祖母に弟家族、お父さん側の親戚、
たくさんの人に囲まれたGW
母のが一番苦しかったGW
母のが一生懸命生きた最後のGW
寂しがり屋の母が選んだ最期の時間でした。
徐々に徐々に意識レベルが低下していき、
GW最終日、
みんなが一旦帰った翌朝
母は再び急変
私、姉、祖母
母を一番に大好きな三人に
しっかり看取られ
5月8日
母は天国へと旅立ちました。
お母さん
苦しかったね
辛かったね
でもよく頑張ったね
色んな大変な状況でも
頑張って頑張り抜いた人生
63年間お疲れさま
今までずっと頑張ってきたぶん
ゆっくり身体を休めてね
お母さん
大好きだよ。
今まで本当にありがとう。
また
会おうね。