39℃のとろけそうな日
炎天下の夢
プレイボールプレイゲーム
せえーので走り出す
ような夢を描きたかったルカリオです


先日、ちょっとかしこぶって
新聞を読んでいましたら

道徳の教科書で
「星野君の二塁打」
の掲載を今後しないことが決定

という記事を読みまして
その見出しだけで
内容がリフレインされました
小学生の頃の記憶というのは
なかなかに根深いですよね

内容は
少年野球で
最終回の攻撃
星野くんがバッター
監督は送りバントのサインだったが
星野くんは打ちたい気持ちが勝ってしまい
結果的にはタイムリーツーベースで逆転サヨナラ勝ち

このお話が
道徳の教科書から無くなる
今でもあったことのほうが驚きですが

私が子供のころ授業で出てきた時は
結果オーライよりは
和を乱すほうが良くないか
となった気がするが

歳を重ねるごとに
世の中
結果オーライなことが多かったり
現場主義や、自主性、自分で考えなさい
的なことも多く
なかなかあの教材とは違うことも
人生には多いなと感じます

打席でのサインでは難しいだろうが
もう少し監督とサイン交換できる術があれば
と思うようにもなりましたが
選手にとって監督は絶対的で
小学生ならなおさらのこと

そのため、識者の意見としても

監督指示に服従を求める古さがあり
子供ら自ら考えることを重視される現代
としては
もっと早く無くなっても良かった

という意見の一方

集団の一員としての生き方と
自分らしい生き方
との葛藤を体験するのに
残して欲しかった良い教材

という意見が両方とも少なからずある

とのこと

識者でも意見が結構分かれるのであれば
なおのこと
考えさせられる教材としては
子供にも大人にも
なかなか良いんじゃないかと
私は思ってしまいます

そもそも
この教材を無くす発端が
とあるアメフトの試合での悪質タックルの
監督指示の有無事件らしいが
なんかお門違いなクレームというか
とばっちりだなとも感じます


なかなか極端な多数派が正解になる
問題が世の中には少ないのではないか
常識や普通ってのが人それぞれ


目玉焼きに付ける調味料は様々

こしあんか粒あん

ラーメンかカレー

キノコかタケノコ など


考えることは大事だが
正解や常識、普通、定番を決めつけるのが
正解ではないこともあるのを
小学生の授業などの
人生の早めに感じておくのは
良いことではないでしょうか

私も小学生の頃に
それをもっと感じられていれば
もう少し丸みのある性格に
なれてたんじゃないかなと
時代のせいにしてしまう
卑猥な、、もとい卑怯な
ルカリオでした(-。-;



わがままどうし いつまでも

どこまでもいこう日曜日~♪_(:3 」∠)_

( ルカリオのたまに勝手に流れる脳内BGM百選より
「Sunny Day Sunday」byセンチメンタル・バス  )