天王星が順行に戻ったと思ったら(今年の7月以来)、
突然アメブロが始まって以来?大々的にフォントを変更し少なからず困惑...
せめて一年前くらいまで遡って文字サイズを少し小さくしたいと思ったけど
かなり面倒なので、もうこれでいいやと(汗
そんなにじっくり他人様に読んで貰ってるものでもないしで
最初の頃のは結構恥ずかしい内容だったりもするので(苦笑
本当は何とか体裁よくしたいのだけど
と、思っていて、あらためて結構前から書いていたんだなーと、、、
何だかんだで占いは自分自身の本来の姿を知り、日々の動きから
近く遠く未来のゆく末まで客観的に見定めることを自身の中に許して
いたのだと――それでも一時期は必要以上にアディクトすることを怖れ、
意識的に遠ざかってはいた、けれど近年また、その場所にしっかり
舞い戻ってきてしまっている...
昨年秋からずっと牡牛座対岸の蠍座に位置している土星に波及して、
ここのところ、ずっと個人的に苦しい時期が続いている、、、
本当に胸の中がモヤモヤしていて息苦しい、、、
この感じが始まったのが、ちょうど昨秋からなので、やはり侮れないものだ
太陽に直に、ではないけれど、元々海王星オポジションを同じように牡牛
対岸の蠍座に持っているので、やはり何というか夢見がちな勘違いじみた
ことをモヤモヤと想像してしまったりする生まれなのは確かに否めない
(それがよい方向へと向かうのなら、いわゆる絶大な「引き寄せ効果」となるのだけれど)
思えば「それ」はサタリタ直後の土星が自身の星座である牡牛座に
30年余りが経って入ってきた2000年に事のピークを迎えたのでした...
マドモアゼル愛氏は、この自身の星座への土星入座をバランスシートである
と仰っているのだが、要するに私自身の場合どういうわけか驚くべきことに
何かのその実力を認められてしまった、ということになったのだろうか?
けれど実際は、その有難い評価を自分自身の中に受け入れることが
できなかった...むしろ突然降って湧いたような、その夢のような幸運と
見紛うような現実を、まるで分不相応な怖ろしいものであるかのように、
結局見て見ぬふりをしてしまった――この13年近く、その後悔で埋め
尽くされた、長い長い坂を痛む足を引きずるがごとく、ひたすらのぼって
きたような気もするけれど、結局まだその坂は延々と続いているような気がする
それでも、一応はその坂というか階段をのぼりきり、一つの踊り場のような
所へと出たのかどうか、、、? ちょうどその頃と反対側の位置に現在土星
は位置し、その頃とは全く違った意味での重い試練を自身の心とリアルに課しているような...
元々土星は自身のホロスコープ上にて、天頂の10室にてカルミネートして
いる星、、、時の番人クロノスの名の通り、永い時間をかけて培うもの、
あるいは責任、重圧、試練、努力など、見るからに気の遠くなりそうな、
苦しい文言がそのキーワードとして多く連なる
現在、山羊座にあった金星が逆行を始めており、その土星がrulerでもある
山羊座での金星逆行なので、山羊座の定位置(ナチュラルサイン)でもある
10室にその土星と、そして金星の二つの星を出生図に持っている
自分としては、それなりの感慨があったりする――、
愛・豊かさ・財などを司る金星が、責任を伴う権威を扱う山羊座にて
逆行、、、何となくああ、試されているんだな、といった実感が何気に湧く
蟹座の1室に月を持っており、その月が多くの星々とアスペクトしていて、
この牡牛10室金星ともども(土星は牡羊だが)月は自分自身を象徴している
けれどここのところは、蟹座のというよりは、その反対側の山羊座的な
責任感というか、社会的ステイタスや、それを目指すことに軸足が置かれ、
実際今自分の顔つきは、ちょっとそんな山羊座っぽい険しく厳しいものに
なってきている気がする(単に歳食っただけだが、爆)
自身のチャートにて山羊座は何気に7室のカスプ(境界線)に位置して
おり、そんな意味からも、結婚という名のパートナーシップをもし誰かと
結ぶとしたら、やはりどことなくそんな社会的な責任感みたいなものに
裏打ちされたものになるのだろうな、と、、、要するにつまり、
土星→10室→山羊→土星...
といった延々ループ(汗
(牡牛の一つ前の牡羊にある土星なので)30歳でサタリタを迎えてから、
さらに15年、、、ちょうど180度反対側に回った、その努力と試練と
忍耐の星、土星、そしてどういうわけか、その土星の本宅である
山羊座で若干の長期滞在をする金星、、、本当に面白いように、
天の星の配置が今現在の自分自身の状況を代弁しているかのよう
もしこれが海王星オポによる妄想や手痛い勘違いでないのであれば(汗
本当にいつ、「その答え」は出るのだろう?
それはやはり実際的でひたすら現実というものを見せようとする、その
土星が知っている――、決して嘘偽りでも夢まぼろしでもない「それ」を
本当にどれほど時間をかければ、その頂きに到達することができるだろう?
そんな途方に暮れる思いをも、律儀に重々しい重圧として課してくれる土星
蟹月アセン合と厳しいスクエアでもあり、10室の天頂にてカルミネート
している土星は、実際自身の人生を象徴する星であり、その活動サイン
での「上昇星×カルミネート・スクエア」が、一つの大きな障害とも
なりうる、長々とした苦境の続くこれまでの半生と容易に重なる
誰にも、何にも、必要とされない
自分自身が本当に望む形で――、
今現在も、そしてこれまでも、きっとそんな苦しい思いで生きてきた
その辛さや苦しみは、たぶん他人には容易に許容されないもので
あったかもしれない
その辛さを認めてもらえない苦しさ、、、
それでも、どうして生き続けているのか
生きている意味をも、もしかしたら、それは簡単に奪ってしまいかねない
そうまるで「生ける屍」のようなのだ、もしこれがこのままずっと終わらずに続くのなら
その苦しみは、悲しみへと容易につながる
ずっと乾くことのない涙の沼が心の奥底にひろがっている
生きながらにして、死んでいる、、、その実感で時折とても、くるしくなる
だから、たとえ現実逃避と言われようと、妄想癖と小酷く揶揄されようと、
「夢」は一つの大きな心の支えだった――、
ずっと醒めない夢を見続けているような
いつ、それが成就するのか、そもそも本当に自分が
それを欲しているのかも、本当はよくわからないまま、、、
どことなく、そんな像そのものが判然としない感じが、この海王星的でも
あるような?、、時には嘘偽りともなり、それでも心をどこか遠い星の
海へと連れ去り、その夢や理想という、目には見えない手にも取れない
何がしかに取り込まれる――、どことなく失意、失望、夢やぶれる、、、
といった現実が待っている盲目の怖さもいつしか内包しながら
それでも、そんな夢うつつなヴェールに包まれた世界で魅了する、海王星
ある意味、土星の厳然としたリアリズムとは正反対でもある
思えば、海王星は金星のハイヤーオクターブであるとも言われ、
金星的な愛の世界をもう一段、魂レベルの高いところへ引き上げたもので
あるとも、、、そう言われてみれば、この世の美や愛が高まれば海王星的、
高次の精神愛へと昇華するのだろう
その金星が10室、そして海王星は5室
やはり何となく自身が向かうべき場所は、そんな美や愛を一種、幻想的とも
思える一つの形に昇華していく奥深いイマジネーションの世界でこそ
花開く、そんな場所であるような?
そして同じく10室にてカルミネートしている土星は、それらの世界を成就
するための、確かな試練の足跡や、その苦しさがあるからこその実質的な
力をも育て養うためにこそある――、もしそうであるならば、どれだけ
心強く頼もしい、自信と実力に裏打ちされた私自身の味方であるだろう
愛も夢も、きっと自分自身のどこにも見つけられないのだとしたら、
どれほど虚しいだろう、まるで生きている意味そのものが見いだせない程に
そして、それでも時に「現実を見ろ」と、揶揄する真昼の太陽
けれど、結局その厳しさがあってこその愛や夢なのだろう
人は夜の月の顔ばかりでは生きられない
だから太陽星座は、その人の人生が向かうべきベクトルや意義を意味する
土星と海王星の匙加減
要するに、それに尽きるのかもしれない
きっとありもしない夢ばかり見ていては、現実に見放される
たとえ夢うつつの世界に生きざるを得ない、そんな性格であったとしても
同じ夢を見るこころは、確かにこの目の前の現実とつながっている
それが時折、とてつもなく怖くもあるのだけれど、、、
これは夢だと思っていたものが、突然、眼前にて現実化する、
そして現実だと思っていたものが、突如、夢まぼろしへと変化する
手が届かないと思っていた、思わぬものに突然手が届き、かと思えば、
今度は手痛いしっぺ返しを返されるように、見も知らぬ場所へ遠ざかる
本当に遠く近く、その距離を見定めることすら、苦しくなる
けれど多くは、それを夢見るこころの状態に寄与する
だからきっと、もっと心をフラットに保たなければならないのかもしれない
芒洋と広がる想像の海に呑み込まれないように
あるいは失意の氷結に閉じ込められないために
つまり、その夢うつつの匙加減が物を言うのだろう
これは現実でもあり、そして同時に夢でもある
すべては、自分自身という心が映し出した鏡なのだから、、、