世の中には生きる上で最低限、
守らねばならないルールがある。
それが守れない者は、死ぬか犯罪者になるかだけだ。
誰しも己の人生を生きてきた過程で、
色々と理不尽に思うことがあるだろう。
そして時には許せないと思うこともあるだろう。
しかし基本的にそれが世の理というものなのだ。
その中で、ある程度我慢することを覚え、
その上で生きている上で自身にとって、
最上の喜びを最低限、発掘する...
それができなければ自分の人生そのものが、
不満だらけになってしまうだろう。
生きるとはつまり、そういうことなのかもしれない。
大人になり成長するとは、つまりそういうことが
上手になるということなのかもしれない。
誰しもいつまでも子供のままではいられない...
今よりもっと生きることが上手くならなければならない。
自分自身に折り合いを付け、社会に折り合いをつけ...
働き金を稼ぎ、いずれは自分の力で生きていかねばならない。
それが現実の人生というものなのだ。
特に男には、当然そういうことが求められる。
今時の昨今では、女も例外ではなくなったかもしれない。
とにかく生きるということは、基本的に辛いことなのだ。
それを我慢できない者は自動的に淘汰される。
その力のない者は、判断力理解力のない者は、
愚者であると一蹴され終る。
つまりはそれが世の中というものだから。
賢いとは、そういう苛烈で厳格な世の中を、
上手に笑って生きていける人のことをいう。
勿論、そのために人間として大切な何かを
失ってしまっては、元も子もないけれど。
(無論、それ以前の「最低限」のことなのだが)
一週間前くらいに見たNHKの某討論番組。
http://www.nhk.or.jp/korekara/
テーマは私たちの「働き方」。
個人的に非常に身につまされながら、
でも楽しく見た。正確には、面白おかしく。
(実際、識者の森本卓郎氏の発言などは痛快だった)
その中で印象的だった言葉が、
「自分の身は自分で守る」ということ。
いくらか経済が上向いたとはいえ、相変わらず
弱者には生きにくい格差社会には違いない。
働く上で不当な扱いを受ける非正規社員が急増。
自分自身も決して例外ではなく、何度か頷くような
場面に出くわした。弱い立場であるがゆえ、
まるで便利な駒であるかのごとく扱われる。
しかし、出来ないことは出来ない。
と正直に言うことも、ひとつの真実ではないか。
実際一人の人間に出来ることには限りがある。
極端な話、過労死したり、うつなどになる前に...
働くための生活、ではなく、生活のための労働に。
これも非常に共感した、まっとうなまとめの言葉だった。
一日20時間も働かされるなど、まったくもって論外だ。
(そもそも労働基準法違反で訴えられる)
もっともこれらは当然、真面目に働くことの
意義、以前の問題なのだが。
折りしも、勤勉で厳格な星・土星が今秋、乙女座に
入ろうとしている。乙女座は第6番目の星座。
奇しくもホロスコープで第6室は、労働のハウス。
しかし現在、射手座入りしている、非常に楽観的な
状態の木星と獅子座にある土星との角度はトライン(120度)。
(いや正確には冥王星とタイトにトラインなのだが)
今年暮れ間際に、その木星は山羊座入りする。
山羊座は乙女座同様、努力型の地の星座で、しかも
自らキャリアを積むということと深い関係のある星座。
だから、ある意味では今年から来年以降が勝負かもしれない。
来年2月には冥王星も揃って山羊座入り。
12年ほどでやっと一星座を通過する星だけに、
これは確かにかなり大きな変動となりそう...
とにもかくにも、努力する者だけが報われる。
そういう時代、世相になっていくのかもしれない。
つまり、ただのほほんと怠けていてはダメなのだ。
まさに細やかな努力を意味する乙女座の土星との
山羊座木星のトラインは、地道に真面目に働く
ことや者への支援を意味しているのだろう。
早くも来年はじめには、はっきりとその形が示される。
特に12年ぶりに山羊座に星座移動する冥王星は、
まさに冒頭前述のような厳しい現実を突きつける。
それこそニートは世間から一掃されるかもしれない。
とにかく働け!そうする者にこそ、輝かしい未来は訪れる。
否、輝かしくはなくとも(くだんの討論番組で語られていたように)
仕事それ自体に、生き甲斐などの意義など求められなくとも、
まっとうな人間には育つだろう。成長するだろう、少なくとも。
12星座とは、実に上手い具合にできていると感嘆する。
自由で楽観的な射手座の次は、まるで気を引き締める
ごとくのように、真面目で堅実キャリア志向の山羊座へ。
そしてさらには、それだけでは見えない、さらにもっと、
奇想天外で面白いことをする(しかも)博愛の水瓶座へ...
そして最終的に、すべてにおいて親和的な浸透圧を
持つ、究極の慈悲深い犠牲愛の魚座の終着点へと移行する。
それもこれも、最終的な自我(個人)の確立を
意味する第6番目乙女座は、まさに労働従属のサイン。
それこそが、個人の「究極の我慢」ではないか。
それを経て晴れて人は、パートナーや社会性を
意味する天秤座の領域へと踏み込んでいけるのだ。
それこそが人としての折り返し地点である、最終局面。
社会と個々人とが最初に出会う場所、その入り口。
生まれたばかりの子供だった第一番目の星座、
勢いばかりの牡羊座の頃の面影はそこにはない。
勿論、人というのはそれですべて終ってしまうほど
単純というわけではなく、だからこそ、この12星座を
配したホロスコープを惑星は幾度も回り続けているのだが...
それこそ何度も生まれては死す、その繰り返し。
まるで細胞そのものが生まれ変わるように、
人は子供と大人との季節を幾度も繰り返す。
だからこそ伸び伸びと生きていられる。
延々と螺旋階段をのぼり続けるように、
新たな鮮度を保ちながら...
成長とはその過程に確実に現れる。磨かれる。
だからこそ...
今一度努力することの大切さを、天宙(そら)は
全霊をかけて問おうとしているのかもしれない。
この豊かで便利な物質社会であるからこそ。
今一度、愚かな子供を賢い大人にするための、
それは苛烈な儀式。そうでもしなければ、
間に合わないほど、残念ながら人類は、
その精神は退化してしまったから。
世の理、最低限のルール。
それを守れないなら、生きていてはいけない。
当然、早く人はそのことに気づくべきなのだ。
さよなら人類。さよなら地球。
何処かの誰かにそんな言葉を吐かれるその前に...