知っているようで意外と知らないことというのは多いもので

よく薀蓄番組や知識系クイズ番組などで出てくるので

『情けは人の為ならず』と言う言葉を「情けをかけるとその人の為にならない」
ということだと勘違いしている人がいるのは皆さんよくご存知だと思われます。

しかし

『求めよ、さらば与えられん』

という言葉も

『情けは人の為ならず』

同様大変意味を間違えられている格言なのはご存知でしょうか?

もともとはキリスト教徒の新約聖書「ルカの福音書」11章5~13節.

"So I say to you, ask, and it will be given to you; seek, and you will find; knock, and it will be opened to you. King James Bible And I say unto you, Ask, and it shall be given you; seek, and ye shall find; knock, and it shall be opened unto you.

「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。」の一節から来ています。

これは、何か欲しいのであれば黙っていないで

「求めなさい(頼みなさい)」

自分が口にだしてこそそれがわかるのです。

欲しいものがあるのならば留まらず

「自分から探しに行きなさい」

見つかる物も探さなければ見つからないのです。

自分と欲しいものを隔てているものがあるなら

「門を叩きなさい」

挑戦してはじめて扉は開くのです

という「欲しいものがある時はまず「自分から」行動しなさい」

という格言なのです。

『人事を尽くして天命を待つ』ということなのです。



$LUCAISM 思想の寄り道


変な話、もう2000年以上前に書かれた話なんですけれど現代科学から見てもすごくもっともだなっと思う話で

(ここからルカイズム的になっていくので、口語的になっているのでもう読まなくても大丈夫です!)

これはエネルギー保存の法則から見てもなんとももっとなことではないですか!という。


$LUCAISM 思想の寄り道


エネルギーの法則というのは上の図でもお分かりのとおり簡単にいうと

「インプットのないところにアウトプットはない!」っという法則です。

これは別に努力するしないというだけの話ではなくて、何か「求める」時には必ず「出さなければならない」という話です。

物理をかじった事がある人なら振り子の法則などでよくお分かりだとは思いますが

「とまっている」というのはある意味一番「溜まっている」状態であるわけです。

動いてないというのはそれだけその状態がエネルギー的に安定しているので何も起こりようがないわけです。

自分には何もないから動けないんだという人も「0」で安定していていうなれば「0」でいっぱいなわけです。

ため続けているだけだと新しいものが入る「隙」がないわけです。

例えば今自分が持っているものから何かを生み出したいと思うときは知識でもなんでも少し「放出」して自分から出していかないとそこで溜まっているだけで終わってしまうわけです。

私も新しいことが知りたい時には自分から今度は発信してみる。

お金でも、知識でも、仕事でも

「結果」が欲しいときには「結果が入るスペース」が必要なわけで、それが「努力」なんですよね。

労力っていうのは損をするものじゃなくて、自分の中に結果が入る場所を作る作業なんですよね。

で、その時には出来る限り楽しく「プラス」の放出をする。
するとプラスが足りなくなるのでプラスが補われるようにかえってくる。

マイナス思考で行うと負荷を生み出しているので負荷が帰ってきて減速の原因になる。

振り子も動かさなければ止まったままだし、とまっている振り子は動きたいのかもしれないけれど私たちはそれを知らなければ気が向いた時しか動かしてみることはないわけです。

反対にブランコを漕ぐ子供のように「楽しい!もっともっと!」と自分で足をばたつかせながら動いている物体は背中を押してあげたくなるし、高く高く!どこまで行ってごらんと一緒に楽しめるし。

人間が神様をモデルにして作られたのだとしたら、ほぼほぼ行動心理は同じだと見てもよいので、天命は「楽しげに動いてるやつにこそある」わけです。

「意思が見える」「行動がある」「ポジティヴである」っていうのは力学的にも心理的にも正しいわけなのです!っと思いながら今日も寝るのですw