さて、本当に久々の!レビュー更新。長らくお待たせしました?今回はちょっと毛色を変えて過去アーティスト(いや現在もまだいるけど)の登場ですが、 あえて取り上げてみようかと思います。そう、あえて!今だからこそ熱く語れるそのユニットは知る人ぞ知る、その名も Zabadak(ザバダック) 。日本の邦楽界において、ある意味人知れず特異な分野に位置していた(エキゾチックジャパン?笑)独自のWorldwideな根源的音楽性を有した民族音楽系ポップユニット。あふれる思いをおさえ、早速いってみたいと思いまする...
久しぶりにCDを引っ張り出して聴いたZabadak。最初の音を聴いた瞬間、もーじわじわとアドレナリンが噴出するかと思ってしまった。まさに知る人ぞ知るZabadak。本当に彼らの音楽は、この人たちにしか作れない唯一のものなのだとあらためて実感した。筆者が初めて彼らの音楽の存在を知ったのは、某CD誌のリリース情報だった。その頃は社会人になって初めて勤めたばかりで経済的にも少々余裕があり、そうやってアンテナを伸ばした先に偶然彼らもいた...最初にCD店でみつけたのは、彼らにとって文字通りエポックメイキングな出世アルバムとなった 『飛行夢sora,tobu,yume』 。アイルランド録音のそれは、まだシンプルで荒削りながらも、後に彼らの音楽のエッセンスとしてかかせない、上野洋子氏の透き通るようなベビーフェイスのソプラノヴォイス、そして吉良知彦氏の少々ダークで内省的なヴォーカルやギターの音色が詰め込まれた、まさにZabadakならではの音世界が縦横無尽に繰り広げられていた。
ライブなどでも積極的に演奏されるエッジの効いたイントロが忘れられない「砂煙りのまち」 上野氏の天使のような歌声が堪能できる英詞バラード「I AM...」 今だからこそ心に深く陰を落とす、環境破壊をテーマとした 「GOOD BYE EARTH」 そしてこれもライブでの後半の歌いあげが印象的な 「WALKING TOUR」 と、Zabadakの肝ともいえる天才的な確かな音楽性を持つ吉良氏と上野氏の奇蹟とも思えるコンビネーションが、この時期すでに垣間見える。'80年代後半のデビュー当初は、松田克志氏を入れて3人組だったZabadak。
松田氏が脱退するまでの作品の中にも、後々ライブでも頻繁に演奏されただろうインストゥルメンタル曲 「ポーランド」 や 「Easy Going」「オハイオ殺人事件」 そして 「ハイド・イン・ザ・ブッシュ」「風の丘」「水のソルティレージュ」「チグリスとユーフラテスの岸辺」 など、独特のセンスが光るZabadakらしさの楽しめる逸品は多い。歌詞など作品全体の雰囲気も、ひたすら気ままにファンタジック。どこか"ここではない彼岸"に意識がトリップしてしまうような日本人離れした面白さがある。
上野氏と吉良氏二人だけになってからは、そんな空想的幻想イメージ空間に、次第に確固とした形態やテーマが備わってくる。森や緑、風の心地よさや空や海の広さを思わせる歌の世界。それはある時は精霊など霊的なものさえ感じさせ、人もその自然の一部であることを思い出させる。そういった自然回帰、ファンタジックなイメージにあふれた美しく豊かな詩世界や、さらにそれらを単なる夢物語に終らせない深く渋みの効いたストーリー性に裏打ちされた、しっかりと地に足のついた芳醇な世界観に、彼らが彼らであった理由というものを、あらためて反芻し追体験したような気分になった...
そういった彼らの真実を、さらに確固としたものにしたのが、Zabadak中期の最高傑作アルバム『遠い音楽』 。英詞曲、日本語曲といった言葉の境界線などないかのようなグローバルにして無国籍、多国籍な風情の遊牧民族的、音楽世界。なんというか、それらが自分自身の遺伝子に最初からしっかり組み込まれていたかのような、そんな妙なしっくり感... 彼らの独自の音色を聴くと、何か心の奥底に広がっている遠い海や森のようなものが無性に呼び起こされるのを感じるのだ。本当に今にして、Zabadakと出会えたことが奇蹟に思える。
案の定アルバム『遠い音楽』に収められた珠玉の名曲の数々を本当に久々に聴いて、まるで心が生き返るかのような心地を感じた。これまで眠っていた当たり前の憧憬(あこがれ)が、その忘れ形見のような音色を合図に突然息を吹き返す。冒頭一曲目 「満ち潮の夜」 の斬新にして魅惑的なフォルクローレ調の楽器の調べ、そして上野氏の清らかで情感豊かなヴォーカルには、いつも魅了される。そして畳み掛けるように続く二曲目 「夢を見る方法」 では、メインヴォーカルを務める吉良氏の独特の真摯な問いかけに、まるで自分の心の声が、そのまま乗り移ったかのような躍動感を覚えた。
これこれ!コレですよ!そしてテンションが最高潮に達した所で、アルバムタイトル曲 「遠い音楽」 ...共に口ずさむうちに、なぜか知らず熱い涙があふれてきたのが不思議だった。穏やかにすべてを包み込むかのようなその包容力に、今でこそ彼らの音楽が再び世に出るべきではないかとさえ思えてしまった。耳障りな雑音が多すぎる、この世の中で唯一静けさと豊かなこの星の息づかいに触れる術を教えてくれるような...そんな希(ねが)いのような、あたたかく清らかな歌声が、そこに響いていた。
実質的に筆者がZabadakに触れていたのは、最初の『飛行夢』と『遠い音楽』そして、これも気に入っているアルバム『桜』 と『私は羊』 。そして別レーベルから発売された初期の頃のベストアルバム2枚のみで、後に『私は羊』以降、通称「のれん分け」と呼ばれるラストライブを最後に上野氏が脱退して吉良氏のみになってからは、ほとんど聴いていない。結局あの二人がユニットを組んでいた当時のZabadakが、筆者にとってのZabadakであり、その珠玉の宝石のような瞬間が凝縮されたかのごとくの世界が好きだったのだなと、あらためて実感した。
アイルランドなど北欧的な民族音楽をベースとしたアコースティックな確固とした世界観。それは本当にZabadakというアーティストをZabadakたらしめていたと思うし、その斬新かつファンタジックなオリジナル世界に実に心惹かれた。しかしこれを機にもう一度、その後の吉良氏のソロにもトライしてみようか?どちらにしても、この二人が袂を分かってしまったのは本当に残念。 (さしずめZabadakの根の部分であった吉良氏のみの現在のZabadakに、もう一度あの時のような花が咲く瞬間はあるのだろうか...
『遠い音楽』に収められた曲の中で他に 「二月の丘」 は、上野氏作曲による独特の軽快で躍動的な冒頭のリズムと、上野氏のサビでの情感あふれる歌声が非常に印象的。(Zabadakのほとんどの楽曲作詞を手掛けた小峰公子氏によるシンボリックな神話的世界も魅力的だ)それはラストを飾る、Zabadakの真骨頂とでもいうべき 「harvest rain(豊穣の雨)」 でも、圧倒的なカタルシスを感じさせるほどに強く魂を揺さぶり心の奥深くにまで迫ってくる。それに対して 「愛は静かな場所に降りてくる」 では、どこか神聖さまでも漂わせる静かな力を上野氏の透き通った歌声に感じる。
"治癒"をテーマとして作られたこのアルバムだが、民族系、遊牧系アーティストZabadakの持ち味である独創性や独自性が、これほどまでに昇華された歌の世界はないかもしれない。かと思えば、どこか軽快なリズムが楽しく微笑ましい童話風の楽曲 「Around The Secret」 では、あの『千と千尋』主題歌も手掛けた覚和歌子氏が作詞を手掛けていた。こういった西洋童謡風の楽曲は、後の『私は羊』にも一曲収められているけれど、そんな色んな引き出しがあるのもZabadakの魅力のひとつ。それらが、まるでひとつの地図のように、そんなZabadakワールドのあちこちに点在している。
『遠い音楽』の次回作アルバム『桜』でも、その独自の世界観にあますところなく魅せられる。こちらはタイトル通り、どこか日本的な風情があり、アジア版Zabadakとでも言うような新たな魅力にあふれている。特に宮崎県椎葉村を題材にした(正確には椎葉村の民謡であるトラディショナル・カヴァー曲) 「椎葉の春節」 は、東・洋を問わない和洋折衷な奥深さが、その音楽性に介在していることを証明してくれた。(思うのだが、やはりZabadakにはアースカラーがよく似合う...)
特に上野洋子の美しいソプラノヴォイスにも磨きがかかり、「椎葉の春節」は勿論のこと、彼らの友人でもある新居昭乃氏が作詞を手掛けた 「アジアの花」 そして 「Psi-traling」 ("霊的な痕跡"と訳されるらしい)では、その震えるような歌声の感性に思わず引き込まれる。どうやら間違いなく上野氏の歌声からは、森林浴時のようなマイナスイオン的癒し物質が放出されているようなのだ...もう、脳内でアルファ波出まくり(笑)。
間違いなくZabadakにおける"華"の部分を担当していた上野氏。しかしその上野氏を根っこで支えていたのは、縁の下の力持ち的な吉良氏であったことは、すでに言うまでもないこと。上野氏が光なら、吉良氏は影。どちらがリードヴォーカルを取ろうとも、その光と影の織りなす色濃い陰影が、当時のZabadakそのものを支え、それぞれの持ち味を巧みに引き立てていた。天使のような上野氏の透き通った歌声。そして渋みの効いた吉良氏の少々地味だが、あたたかみのある歌声。それら絶妙の光と影のバランスが、Zabadakを殊更に魅力的に演出していたのだ。二人の特異な作曲能力、様々な楽器を使いこなす演奏能力はいうに及ばず。それらが、どのジャンルにも属さない無国籍的な独特の魅力を醸し出した時、奇蹟は起こった...彼らの描こうとしていた音の地図は、どこまでも豊かな広がりを伴っていた。彼らの歌は音楽は、決して色褪せることのない普遍的な息吹を放っていた。
今にして、このZabadakという個性派ユニット、アーティストに久々に触れて思うのは、やはり以前、自分が好きだったものは、なんとなく自分自身の身体の隅々にまで沁み渡り、自分の血肉となっていたのが今でこそよくわかる。そして、どれほど自分が豊かなものに触れてきたのか、その奇蹟のような存在証明のような道のりが確かにあったことを、あらためて噛み締める。筆者にとってはZabadakも間違いなくそのひとつ。知っている方には懐かしい、そして知らない方には 、ぜひ一度その心躍る魅惑の音世界の虜になっていただきたい...そんな思いが思わず湧きあがるほど、彼らの存在は確かにその場所で密かな水晶のように人知れず輝いていたのである。
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