後藤健二さんが殺されたという報に接しました。
後藤さんはクリスチャンなので、主の御許に行かれたのだと思います。
この報に対してほとんどの日本人が悲しい思いをしたと思います。 また大変に難しい問題が含まれています。
戦争または災害地域では、多くの記者がなくなっています。しかし、今までは対岸の火事とし見逃していた人が多かったのではないでしょうか?私もその一人です。
今回の事件で、日本人も拉致、監禁、殺害の対象であるということがはっきりしました。
今回のような事件が起こると必ず自己責任論、危険地域に踏み込むことの是非論が起こります。
もちろん海外で活躍している記者の皆さんはその地域の、危険の度合いは一般の私たちよりよく知っていると思います。しろうとがふらふらと興味本位ではいりこむこととは本質的に違うと思われます。
また、過去の経験からいろいろなルートも持っていると思います。湧き起ってくる自己責任論についても誰よりも記者の皆さんが知っていると思います。
そのうえで危険地域に行くのは、そうしなければならないとの目的と、決意があってのことだと思います。私たちもそれを望みます。
しかし今回のように、人質となり要求が付きつけられると必ず「危険地域に入るからこんなことが起こるんだ」という論が起こります。
日本では連日のように、イスラム国につての報道がなされ、解説がなされています。
公平な報道を確保するためには、日本人が現地に赴き情報を収集し、分析して日本人の言葉として日本に発信したいという思いは、記者の人たちは誰しも持つことだと思います。また私たちもそれを望みます。
このような状況から記者の皆さんはあえて身の危険を冒して、危険地域に行きます。そして今回のような事件が起きてしまいます。
もちろん、拉致、監禁、殺害はあってはならないことです、しかしそのような蛮行を行うのは犯罪者のせいで、決して記者の人たちのせいではありません。
私たちも今回の事件を契機として、決して対岸の火事ではなく、私たちの身近でも起こりうることとして、一人一人が自分の考えを発信していく必要を強く感じます。
特に私のように海外に住んでいる日本人として、まっとうな生活をしていても事件に巻き込まれたときに一体だれが、どのように援助してくれるのか確認しておかなければなりません。これは決して自己責任ではありません。