美大受験で一浪の受験直前の日、デッサンのモチーフは、毛糸玉、アルミホイル、卵でした。
私の作品は、卵が蚕の繭みたいになってしまいましたが、それ以外の出来は良かったと思います。
その年受かった人のデッサンに対する講評が、記憶に強く残りました。
「とてもよく描けているけど、そのもののようで、そのものでない感じがする」
そういわれてみれば、毛糸玉のふわふわ感が出ていなくて、毛糸玉の再現というよりは、その人の
絵になっている気がしました。
プロになるためにお世話になった師匠が、人物画(美人画)には、いくつかタイプがあると
教えてくれました。
「現実にいそうで、いそうなタイプ」
「現実にいそうで、いなさそうなタイプ」
君の絵は、前者だよ、と。
たしかにそうで、自分が絵を描く際、大切にしているのは、光の再現、表情、質感でした。
モデルとかけ離れた理想像を追ってはいなくて、表面的なニュアンスに拘っています。
相互フォローの関係であっても、私は他の作家さんの作品は見ていません。
興味がないからではなく、見ても仕方がないからです。
自分と違った個性の人、自分と違った才能の人の作品を観ても、取り入れようがないからです。
現在、岡靖友氏の個展期間であるため、タイムラインに画像が流れてきます。
年を追うごとに完成度が高くなり、立派だなと思っています。
感心しないのは、それを鑑賞して感動した方々の感想です。
さすがに、生き生きとした生命感という感想はないのですが、ほとんどの人が質感描写に
触れています。
質感の描写に感動するのは自由ですが、それは正しい評価なのでしょうか。
岡氏の作風は写実的ですが、再現に主体を置いているように見えて、そうではありません。
氏の描く光は、再現的なそれではなく、内面の光です。
その証拠に、精密に描かれた着物の生地が何であるかは判然としません。
表面的な光(昼と夜の光の違い)の再現性が得意ではないので、照明の当て方に工夫して、
瞳にハイライトを描かないようにされています。(モデルの精神性に目をむかせたい)
自分の才能に酔うことなく、冷静に分析して、自分の個性を発揮できるように考えておられるのが
伝わります。
何を言いたいかというと
作家が懸命に描いている世界観を、正しく把握して鑑賞していただきたいのです。
作品を完成させるのは作家ではなく、鑑賞者です。
評価が正しくないと、作家の努力も水の泡になってしまうでしょう。


















