写実絵画の世界展 美術館「えき」KYOTO 会期2月19日~3月30日

 

拙作「ミント」と「秋陽」が、展示される予定です。

このブログを見ている方はほとんどおられないと思いますが^^

お近くにお立ち寄りの際は是非<(_ _)>

 

 

 

 

 

私が予備校で教わった先生は、とにかく話が長かったです。

話題が多かったわけではなく、何度も同じことを語られるタイプでした。

生き生きと描くこと

高い調子で感じること

情熱的に

気合を入れて神経で描くこと

生命感が大事だ

普通なら5分で終わるところを、何時間もかけて繰り返し・・・自分にはまねができません。

信じられないような情熱でした。

そのどれもが当たり前のことと考えていましたが、実際にプロになってみると、先生の言われたような

絵は非常に少なかったです。

そこで、日本の画壇にはそのような絵が少ないこと、反動が原動力だったのだと気が付きました。

 

 

展覧会の図録です。

人物を中心に描いていますので、どうしても人物を描いた作品に目が向きます。

私は知名度が低いので、最後から2番目に載っています。

有名作家が目白押しですが、私の感覚では、生きた感じで表現されているものは本当に少ないです。

とてもきれいに描かれていますが、ひんやりしていて、生気が伝わってきません。

気になるのは、肌の色の感じ方です。

特に、影の色。

明暗でしか感じていない気がします。

見た目にシックで落ち着きがありますが、それが生気の少なさにつながっていると思います。

これからプロを目指す方は、その辺を意識するだけで、目立てる可能性が高くなると思います。

 

食事をするときだけ、テレビをつかます。

たまたま、理系作家の本を紹介していたので、観てみました。

 

「すべてがFになる」

装丁がきれいだし、少し紹介された本の中身も興味深かったので、ネットで注文。

当日に届いたので、すぐに読んでみました。

制作の合間に読もうと思っていましたが、あまりにも面白いので、一気に読み終えました。

制作の邪魔になるので、今後、ミステリーは読まないと心に決めました。

 

 

土曜日は生徒さんが来られる日なので、デモンストレーション用にSMを2時間描きました。

徹夜明けで疲れていたので、授業中に描くことは断念。

これを落ち着かせてから、注文画に戻ります。

 

油彩 4P

 

新作の描き始めです。

 

 

※どうしても向きを正位置にできません。なぜ?

 

 

表情や感情を感じられない作品は、退屈なので好きになれません。

サロン絵画に見られる美しいだけで、底の浅い絵。

ブグローなどがそうですが、巧いのはわかるし、それだけですごいのですが、

私には退屈でしかありません。

ダヴィンチのモナリザは、実物を観るのを楽しみにしていましたが、実際に

目の前にすると、あまりにおぞましくて、すぐに退散しました。

そのような経験は、他の絵では一度もありません。

あまりにも人に見られすぎて、妖怪なような存在に感じられたのです。

 

 

今度は右に倒れました。

アメブロはやめたくなりました^^

どなたかご教授ください<(_ _)>

 

この少女像では、他人に見られる不快感を、そのまま描きました。

小学生高学年の頃の不安定さ、体の急激な成長についていかない気持などが

この一枚に閉じ込められていると思います。

 

作品を描き始める際、トレースはしません。

デッサンをしてからトレースをする方を多く見かけますが、私は

お勧めしません。

明暗、調子のとらえ方などで個性は出せますが、一番個性や様式感を

出すのに有効なのは、形の決定です。

アマチュアなら仕方がないですが、プロなら、デッサンの用意はせずに

画面で決めるべきでしょう。

白黒と違って、色でとらえる場合、いくらデッサンで形をしっかりとらえても、

色を置いた瞬間に狂いやずれに気づいて、いやになるはずです。

 

綺麗に速く描くことを優先すれば、下絵を用意することは必要かもしれません。

それでもデッサンの用意を省くのは、画面に生命感が出てくるからです。

一発で形が決まることは稀で、何度も修正を加えながら進めることになります。

修正を無駄ととらえるか、楽しいと感じるか。

単なる間違い探しなら、無駄でしかないでしょう。

私はそこに、見出していく喜びを強く感じます。

 

 

 

自分が個展を開いたり、グループ展に出品した場合、会場まで足を運んで

いただくのは、とてもうれしいものです。

しかし、他の作家の方の個展などには伺うことはありません。

極端な人見知りであることと、作品への感想が浮かばないとき、本当に

困るからです。

十数年間、受験生に教えていたことの癖が残っていて、伸びしろを感じて

しまった場合に、お願いされてもいないのに、アドバイスして嫌われた事も。

小さな親切、大きなお世話ですね。

数年前のことですが、二度と口出ししまいと決めました。

口出ししないためには、出かけないのが一番です。

 

去年、20年以上ぶりに再会した生徒さんから、好きな作家さんの個展を

観るのに付き合ってほしいと頼まれて、断りたかったのですが、候補の

作家さんの作品の画像が好ましかったので、ついていきました。

イトウ ナホというお名前の日本画を描いておられる方でした。

伝統的な花鳥画とかではなく、抽象的な作品です。

感想は言わないつもりで出かけましたが、とても感動していたので、

お伝えしました。

大学を出てから、自分が描きたいと思っていた絵が、そこにあったからです。

 

 

 

 

 

 

朝食時にテレビをつけると(テレビは嘘をばらまく機械なので捨てたい)、谷川俊太郎氏が。

若き日の姿で、フェルメールについて語られていた。

画家の立場から聴いていて、言われていることは的を得ていました。

直観の優れた方です。

 

語り口は違うけれど、上岡龍太郎氏と似ているな、と感じるところがありました。

息継ぎのポイントです。

谷川氏は、「。」ではなく、「、」のところで息を継いでいる。

だから、話に引き込まれる。

 

「フェルメールの青は・・」

司会者の阿呆な質問のかわし方も、秀逸でした^^

  

プロになってから気づいたのは、絵で食べている人で、美大に通ったことがない人が

意外と多いこと。

私はぼんやりした生徒だったので、高校の美術の先生に言われるままに、受験予備校に

通いました。

美術を志すなら、美大を目指すのが当たり前だと思い込んでいました。

家から通えるという理由で見学に訪れた予備校。

もともと描写力があった私を、完全に壊してくれました。

良い意味でも悪い意味でも。

もし、自分の素質を上手に導いてくれる先生に出会っていたら、浪人することなく、すんなり

美大に受かっていたと思います。

そのかわり、普通に就職活動して、美術と関係のない仕事に就いたでしょう。

 

最初に習う先生は、とても大事だと思います。

10代の多感な時期なので、大人になってからの出会いとは比べ物にならない影響力があります。

見学したとき、二人の大人が案内と説明をしてくれました。

同伴してくれた父が「美大を出た後、絵で食べていけるのですか?」と質問すると

「デッサン力があれば、食べていけます!」

もう一人の人がシニカルに「そんなことはない」

 

前者を信じたかったですが、現実は後者が正しいのです。

デッサン力がなくても売れている方は多いですし、デッサン力があっても、作品や本人に華がなければ

売れることはありません。

なぜそうなるのかというと、絵の価値を理解する人が少なすぎるからです。

絵にはスポーツや音楽のような絶対的な基準がありません。

スポーツはタイムや得点、勝敗。

音楽には明快な音階があり、聴けば、好き嫌いがすぐに判断できます。

絵には、そういった基準がなく、美術教育の質が悪い。

楽譜を読めなくてもうまく歌える人は多いし、歌が下手でも、他人の音程が外れたら、すぐに気づきます。

絵をうまく描けない人は、描けない自分を基準に鑑賞してしまいがちなので、批判精神が育ちません。

 

学校での美術の授業を受験に関係ないからと遊びでやり過ごして、多感な時期に芸術と親しまないままに

大人になって美術館や画廊に行くと・・・

作品より先に画歴、受賞歴やキャプションを読んでしまうことになります。

絵を観る前にそういったことをするのは、自分の感性に自信がないからと、私は考えています。

こういったゆがんだ考え方も、最初に習った先生方の影響があるのかもしれません。